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Cartier カルティエ

カルティエCartier SA)は、フランスの高級宝飾ブランド。「Jeweller of kings , king of jewellers 王の宝石商、宝石商の王」(エドワード7世の言葉)と言われる名門ブランドである。

 

革製品、ライター、筆記用具なども扱っている。リシュモングループの傘下にある[1]。

1980年代後半まで日本市場では「カルチェ」と表示、発音されていたが、それ以降本国や英語圏市場での発音に近い「カルティエ」に統一され現在に至っている。

 

1847年 - フランス人宝石細工師ルイ=フランソワ・カルティエ、師のアドルフ・ピカールからパリのモントルグイユ通り29番地(現在のパリ1区レ・アール地区のエティエンヌ・マルセル通り界隈)のジュエリー工房を受け継ぐ。
1853年 - パレ・ロワイヤルにほど近いヌーヴ・デ・プティ・シャン通り5番地(現在のパリ2区)に、個人顧客を対象としたジュエリーブティックを構える。
1859年 - パリ2区イタリアン大通り9番地に移転する。ウジェニー皇后が顧客となる。
1872年 - ルイ=フランソワ・カルティエ、息子のアルフレッド・カルティエを共同経営者に据える。
1898年 - アルフレッド・カルティエ、息子のルイ・カルティエを共同経営者にする。社名を「アルフレッド・カルティエ&フィス」に変更。
1898年 - ヴァンドーム広場北側のパリ2区ラ・ペ通り13番地へ移転。
1900年 - 長年の研究によりプラチナ使用によるガーランド様式が完成。
1902年 - ロンドンのニュー・バーリントン通り4番地(現在のウェストミンスター区)にロンドン支店を開店、ルイの弟ピエール・C・カルティエ(英語版)が経営を任される。
1904年 - 英国王エドワード7世およびスペイン国王アルフォンソ13世の御用達となる。ルイ=フランソワ・カルティエが死去。ルイ・カルティエがアルベルト・サントス・デュモンのためにレザーストラップの腕時計をデザインする。
1905年 - ポルトガル国王カルロス1世の御用達となる。
1906年 - ジャック・カルティエ、ロンドン支店の経営を引き継ぐ。ルイとピエールとで共同経営を開始、社名を「カルティエ・フレール(兄弟)」とする。「トノーウォッチ」を作製。
1907年 - ロシア皇帝ニコライ2世の御用達となる。
1908年 - シャム国王ラーマ5世の御用達となる。
1909年 - ロンドン支店がニュー・ボンド・ストリート175-176番地(現在のウェストミンスター区)に移転。ピエールがニューヨークのマンハッタン区5番街712番地にニューヨーク支店を開店。
1917年 - ピエールがモートン・F・プラント邸を最高級真珠の2連ネックレスと交換し、ニューヨーク支店を5番街653番地へ移す。
1921年 - のちのエドワード8世の御用達となる。
1925年 - アルフレッド・カルティエ死去。
1941年 - ジャック・カルティエ死去。
1942年 - ルイ・カルティエ死去。
1945年 - ピエール・C・カルティエがパリおよびニューヨークの経営責任者となる。ジャック・カルティエの息子ジャン=ジャック・カルティエがロンドンのカルティエを引き継ぐ。
1964年 - ピエール・C・カルティエ死去。
1974年 - 日本で初めてのブティックが東京原宿・パレフランス2階にオープンする。
1979年 - 事業再編成が行われ、カルティエ・パリ、カルティエ・ロンドン、カルティエ・ニューヨークの親会社として、カルティエ・モンドが設立される。ジョゼフ・カヌイがカルティエ・モンドの社長に任命される。
1984年 - パリ14区にカルティエ現代美術財団が設立される。
1993年 - リシュモンの傘下に入る。
2003年 - シャンゼリゼ大通り154番地にブティックを開店。