元ユニクロ店員のブログ

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Prada プラダ

プラダ (Prada S.p.A.) は、イタリアを代表する高級ファッションブランドを展開するアパレル企業である。ミラノに本社を置く。

 

プラダ(レディース・メンズ)のほか、ミュウミュウ(レディース)を展開している。いずれもデザイナーは創業家3代目のミウッチャ・プラダ

自社ブランド以外に、イギリスの靴メーカー チャーチ、CAR SHOEを傘下におく。かつてはジル・サンダーヘルムート・ラングも傘下にあった。

 

1913年、創立者のマリオ・プラダ (Mario Prada) とフラテッリ・プラダ(Fratelli Prada)兄弟が、ミラノの中心にあるガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレII世に、プラダ1号店として皮革製品店 Fratelli Pradaプラダ兄弟)を開業する[1]。世界から珍しい素材や質の高い皮を集めて製品を作っていた。それが評判となり、イタリア王室の御用達となった。

1958年に創業者であるマリオ・プラダが死去。マリオの娘がビジネスを引き継いだものの、ブランドは凋落し、長く低迷期が続いた。

その後1978年に、マリオの孫娘であるミウッチャ・プラダ (Miuccia Prada) がオーナー兼デザイナーに就任。ミウッチャ・プラダは1950年、ミラノに生まれ、ミラノ大学では社会学政治学科を専攻し、博士号。「日常を贅沢に飾る」をコンセプトとし、現代的で革新的な素材使いやデザインの斬新さと、伝統や歴史等の過去とのみごとな調和で世界的なブームになる。彼女ほど女性の内面を表現できるデザイナーはいないと評された。マリオが旅行用カバンに用いていた工業用防水ナイロン素材「ポコノ」製のバッグが開発され話題となり、次々と新しいバッグやリュックを発表し、日本やアメリカなどで人気となる。

アパレル分野に進出したのは比較的最近で、1985年に靴、1989年に婦人服、1994年に紳士服のコレクションをスタートした。1993年には「ミュウミュウ」(MIU MIU)を設立。ブランド名のMIU MIUは、ミウッチャ・プラダの幼少時代からのニックネームが語源。

1990年代には、新商品の展開を進めつつ、美術プロジェクト「プラダ財団」設立、その他多数の同業他社の買収など、事業の多角化に乗り出した。2000年代以降は、財政難から1990年代に買収したブランドの多くを手放しつつも、携帯電話のデザイン、世界各国の伝統工芸品を素材として起用した「メード・イン・〜」シリーズなど、商品展開の幅を広げ、日本を含むアジア圏への進出を積極的に進めている。

2011年には香港市場への新規株式公開(IPO)を決定。これまでにもプラダグループは、ミラノ証券取引所などへ何度か株式公開を計画したが、世界情勢の悪化などを理由に上場を先延ばし。2010年8月には中国企業が買収目的で株式を買い増したが買収を断念。2011年1月22日に北京で2011年春夏コレクションのファッションショーを開催し、グループが香港市場で株式公開を検討していることが、複数の海外メディアに報じられた。27日に開催されたグループの取締役会において、香港株式市場に新規株式公開に向けた計画が議決。株式公開のコーディネーターには、インテーザ・サンパウロ、ユニットバンカイミ、ユニクレジット、ゴールドマン・サックスが指名される。6月24日上場し取引を開始した。これを機に、中国をはじめアジア市場におけるビジネス拡大を狙うとみられている。

洗練されたライン、上質かつ的確な素材選び、徹底したミニマリズムからスポーツ、ミックスまで最新鋭の技術を擁する。キャンバス地などの素材も使用するが、やはりナイロン素材が定番であり、人気である。

なお、現在のプラダ・グループのCEOはミウッチャ・プラダの夫であるパトリッツィオ・ベルテッリである。

 

年表
1940年代以前
1913年 - マリオ・プラダにより、ミラノにカバン工房「プラダ兄弟」として創業。
1950年代以降
1958年 - マリオ・プラダ死去。娘が後を継ぐが、その後しばらく低迷。
1978年 - ミウッチャ・プラダがデザイナーに就任。
1980年代以降
1982年 - 靴の展開をスタート。
1989年 - 婦人服の展開をスタート。ミラノコレクションで発表。
1993年ミュウミュウ(MIU MIU)の展開をスタート。コレクションの発表は2003年までミラノ、2004年以降パリで行っている。2007年までメンズコレクションも展開した。
現代アートやカルチャーにおいて最も急進的な知的チャレンジ」を効果的に発信することを目的としたPrada Milano Arteを設立。なお、2年後の95年にFondazione Pradaプラダ財団)と改称された。
1994年 - 紳士服の展開をスタート。ミラノメンズコレクションで発表。
1996年逆三角形のロゴプレートを付けた防水布「ポコノ」製品が各種発表され、事業規模を拡大。
グッチ株を買収。ただし、1999年までにLVMHに譲渡。
1999年ヘルムート・ラングHELMUT LANG)、ジル・サンダーJIL SANDER)、イギリスの靴メーカー・チャーチ(Church's)と他社を次々に買収。「LVP」というLVMHとの合弁会社を設立し、フェンディ(FENDI)を傘下に収める等して友好関係を築いた。なお、フェンディは2000年にプラダ保有株式をLVMHに売却してLVMHの全面子会社とし、ヘルムート・ラングジル・サンダーは2006年にそれぞれ売却した。
オリバー・ピープルズ(OLIVER PEOPLES)がプラダアイウェアのファーストコレクションを手掛ける。
2000年代以降
2003年3月29日、東京・銀座中央通りのセフォラ跡地(6丁目)に銀座店(初代)をオープン。
6月7日、東京・南青山にヘルツォーク&ド・ムーロン設計の国内最大の旗艦店「エピセンター・ストア」をオープン。ショップの裏手には建築家の名前等が記されている。
2006年 - 男性向け香水「アンバー・プール・オム」、プラダ・スポーツのジーンズラインを発表。
2007年 - 日本のアニメーション映画「EX MACHINA -エクスマキナ-」に衣装デザインを提供。プラダが映画にデザインを提供するのは初めて。
2008年LG電子(LG Electronics Inc.)とコラボレートした携帯電話「プラダ・フォン(PRADA Phone)」を発表。その後数年に一度のペースで新機種を登場させている。
サンフランシスコに旗艦店をオープン。総売場面積は約430m2。
2009年エディ・スリマンHedi SLIMANE)がプラダメンズウェアラインのキャンペーンフォトを撮影。
4月2日から開かれたソウルモーターショーに現代自動車プラダと共同でデザインした「ジェネシスプラダ」を出展。現代自動車南陽研究所とミラノのプラダデザインセンターが2008年11月から共同で作業し、従来の「ジェネシス」の外装と内装デザインを新たに構成する。
7月、パリ8区ボーボ広場92番地に5ヶ月限定ショップをオープン。総売場面積は約570m2。デザインはロベルト・バチョッキ。
2010年日本限定アイテムとしてプリントコレクションバッグを発表。
2010年3月19日、プラダ男女差別事件が東京地方裁判所に提訴される。
2010年5月15日、プラダ店舗の元女性管理職の社員達も女性の権利の侵害を主張してプラダに対する民事訴訟を東京地方裁判所へ提起
2010年7月、プラダは、女性の権利を主張した事によってブランドのイメージとロゴが傷ついたと被害者に対して反訴。
9月18日、名古屋駅前の名古屋ビルデイングにプラダ名古屋店オープン。総売場面積は約920m2。
2011年6月24日、香港証券取引所に新規株式公開(IPO)。
11月、銀座1丁目のトレシャス銀座にミュウミュウ銀座店オープン。
2012年1月、パリ オートクチュール・コレクション期間中にパリのイエナ宮にて、24時間だけの展覧会である「24時間ミュージアム(24h MUSEUM)」を開催。
5月10日から8月19日まで、アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館で「スキャパレリとプラダ、不可能な対話」展を開催。エルザ・スキャパレリ(Elsa Schiaparelli)とプラダアーカイブを集め、それぞれを対比しながら紹介。
ロンドンオリンピックに出場するイタリアセーリングチームのユニフォームをデザイン。
イタリア・ベネチアのカ・コルネール・デッラ・レジーナ(Ca Corner della Regina)でプラダ財団が展覧会「ザ・スモール・ユートピア. アース・マルティプリケイタ(The Small Utopia. Ars Multiplicata)」を開催。1901年から1975年のアート作品を展示した。
LG電子とのコラボレーションにより展開されている「PRADA PHONE」シリーズにスマートフォンが登場。キャリアはNTT docomo。専用ケースも発売された。
2013年創業100周年。
2013年4月30日、国際連合人権高等弁務官事務所はプラダ男女差別事件のカウンターレポートを公開。
2013年5月17日、国連経済社会理事会が、プラダ男女差別事件に基づき日本政府に対して、緊急に職場でのセクハラを違法にする新たな規制の導入を勧告した。
春夏コレクションでは「ジャポニズム」をテーマとし、前掛け、菊の紋章など、和服をイメージしたビジュアルを提案した。
映画「ザ・グレート・ギャツビー」の衣装協力。プラダからはプラダミュウミュウの過去20年間のコレクションルックをもとにした34着のカクテルドレスイブニングドレスが提供された。提供された衣装は、6月14日から6月30日まで、「CATHERINE MARTIN & MIUCCIA PRADA DRESS GATSBY」と題して青山店で展示された。
7月13日、大阪・心斎橋筋に大阪初の旗艦店である「プラダ大阪心斎橋店」をオープン。総売場面積は約1,100m2。内装設計はロベルト・バチョッキが手掛けた。
神戸で2店舗目となる旗艦店を神戸旧居留地にオープン。2フロアで、総売場面積は約1,000m2。
銀座エリアの再開発計画に関連し、2003年にオープンした初代銀座店が6月30日をもって閉店。10月12日、5丁目に場所を移しリニューアルオープン。総売場面積は約991m2。設計はロベルト・バチョッキ。大阪心斎橋、神戸旧居留地、銀座の各新店舗のオープンの際には、記念コレクションとして各店舗ごとに異なる限定色のバッグを発売した。
創業100周年記念プロジェクトとして、本店が入居する歴史的建造物ガレリアを含むショップの改造プロジェクトをミラノ市から委託を受ける。7月20日、メンズコレクションの新しいショップがオープン。今後は、中2階にレストラン、その上階にはプラダ財団が運営するアートスペースを設け、グループ本部を設置、更にはミラノ市の新たな文化発信の拠点とする。
ドバイのシェイク・マクトゥームが、世界トップクラスのファッションデザインセンターを構築するために、ドバイのデザイン地区にプラダなど紹介したいと発表。 2015年1月に完成予定。
12月13日、チャーチ表参道店オープン。同店舗は、商品の主要ディーラーである渡辺産業ではなく、プラダ・グループの事業として展開されている。
2015年3月28日、ミュウミュウ青山店を移転・リニューアルオープン。直近に2003年より継続して営業しているプラダ青山店と同じヘルツォーク&ド・ムーロンが設計している。

 

Acne Studios アクネ ストゥディオズ

1996年、スウェーデンにてアクネの事業がスタート。98年、ジョニー・ヨハンソンがアクネジーンズをスタート。

 

アクネ(Acne)はアクネ ストゥディオズ(Acne Studios)が展開するスウェーデンのファッションハウス。

ラグジュアリーな雰囲気も持ちつつ、主張しすぎないデザインは、ミニマルで実用性も兼ね備え、ワードローブに加えなければならないような感覚を持たせる。メンズ・ウィメンズともにウェアからシューズ、アクセサリーまでトータルで展開。

もともとデニムからスタートしていることもあり、ジーンズは今なお人気。さまざまなシルエットを展開し、ハンドメイドで、デニムの中には日本産の生地を使用しているコレクションも多くある。スキニージーンズが人気だが、脚にフィットし、滑らかな生地で、はき心地が非常に良いので有名。

 
最初はスカンジナビア半島を中心に展開していたが、現在は、ニューヨーク、パリ、日本などにもショップを構えている。また、2005年以降は、年に2回、アクネペーパー(Acne Paper)というオリジナルの雑誌を出版している。
アクネ ストゥディオズの沿革・歴史
アクネの歴史は1996年にはじまる。アクネ(Acne)の事業がスタート。もともとはライフスタイルブランドの支援を事業としていたが、その一方で、アクネとしてのブランド設立、商品展開も視野に置いていた。

多くの製品の広告、グラフィックデザイン、TV、ネットゲームなどに関わる一方で、顧客や知人用にユニセックスジーンズ制作などを行い、雑誌等で注目を集めた。これが後のアクネジーンズのブランドとしての基盤となった。現在に至ってもブランドであると共に、クリエイティブ集団としての活動も続けいている。

98年、ジョニー・ヨハンソン(Jonny Johansson)がクリエイティブディレクターとなり、アクネジーンズとしてのコレクションをスタート。最初はデニムが中心だったが、レディース、メンズ共に、アパレル製品全般、シューズ、下着などのコレクションも発表。現在ではライフスタイルを提案するファッションブランドとしての地位を確率している。

2008年、アルベール エルバスがデザインするランバンとアクネジーンズとのコラボレーションで、デニムのコレクションを発表。また同年、アパレル関連のブランド名を、もともと事業名であったアクネ(Acne)に変更。

2012年、日本初、そしてアジア初となる旗艦店「アクネ ストゥディオズ アオヤマ(ACNE STUDIOS AOYAMA)」を東京・青山にオープン。

2013年、ウィメンズコレクションの発表開催地をロンドンからパリに移す。

2015年、初のバッグコレクションを発表。「ロープ・スタイルズ」「バックル・ジーンズ 」「ヒーロー・ジーンズ」の3つのモデルを発表。同年、アイウェアコレクションも発表。

2017年、新デニムライン「アクネ ストゥディオズ ブロ コンスト(Acne StudiosBlå Konst)」をスタート。

Van Cleef & Arpels ヴァンクリーフ&アーペル

ヴァン クリーフ&アーペル(Van Cleef & Arpels発音例)は、フランスに本店のある宝石、時計、香水を扱うハイジュエラー。パリのグランサンクに所属。高級ブランドとして、リシュモングループに属している。

 

19世紀初頭、パリのヴァンドーム広場22番地に創立されたハイジュエリーメゾン(ジュエラー)。主に女性向けのファインジュエリーを中心に、時計、香水などを展開する。1999年からリシュモン傘下に入っている。

四つ葉のクローバーをモチーフとした「アルハンブラ」や「ペルレ」が人気。フェミニンで繊細、エレガントなデザインが特徴的で自然をモチーフとしたものが多い。1点ものの高価な商品が多く、全ての商品が職人の手作りで生産されている。ミステリー・セッティングと呼ばれる独自の特許技術によるセッティングや、小物入れ、時計の技術などで特許を持つ。モナコ公室御用達ブランドでもある。

現在は世界各国に70店舗、日本では現在18店舗とeブティックを展開。

 

1896年 エステル・アーペル(アルペルス)とアルフレッド・ヴァンクリーフ結婚
1906年 アルフレッドと義兄シャルルがヴァンクリーフ&アーペルを創立
ヴァンドーム広場22番地にパリ本店をオープン
1925年 パリの装飾芸術国際博覧会グランプリ受賞(バラのモチーフのブローチ)
1931年 パリで開催されたコロニアル博覧会でグランプリ受賞。
1939年 クロード・アーペルがNYのロックフェラーセンターにブティックオープン
1968年 アルハンブラ コレクションの発売。
1973年 パリの宝石店として日本で初のブティックをオープン。
1976年 ジュエラーとして初めての香水を発売。
2003年 "真夏の夜の夢"ハイジュエリーコレクション
2007年 東京と大阪で回顧展「永遠の煌き展」を開催。
2009年 東京の森アーツセンターギャラリーにて「ザ スピリット オブ ビューティー」展を開催。
2011年 "レ ヴォワヤージュ エクストラオーディネール-驚異の旅-"ハイジュエリーコレクション 
2011年 六本木ヒルズにて期間限定、カフェ「ラ メゾン」をオープン
2012年 "バル ド レジャンド-伝説の舞踏会-"ハイジュエリーコレクション 
2012年 パリ ヴァンドーム広場にジュエリー&ウォッチの学校「レコール ヴァン クリーフ&アーペル」開校
2012年 ブランドサイト リニューアル、オンラインブティックがオープン
2013年 "パレ ド ラ シャンス-幸運の宮殿-"ハイジュエリーコレクション 
2014年 ハイジュエリーコレクション "ピエール ド カラクテール - ヴァリアシオン(個性ある石たち)"発表
2015年 "ポー ダンヌ(ロバと王女)"ハイジュエリーコレクション 発表

Harry Winston ハリー・ウィンストン

ハリー・ウィンストン(英語: Harry Winston、1896年3月1日 - 1978年12月8日)はアメリカの宝飾デザイナー、宝石商、またその高級ブランドである。父親のジェイコブ・ウィンストンも宝石商である。

ウクライナ系。宝石を多数取り扱っていたことから生前彼の顔写真は一切公開されず、公開されても後ろ姿などのみであったが現在では公開されている(英語版の記事 (Harry Winston) で見ることができる)。

彼は宝飾関連企業「ハリー・ウィンストン社(英語版)」を起こしている。2012年からスウォッチ・グループの子会社となる。日本には直営店が7店舗ある[注 1]。

 

1896年 - ハリー・ウィンストンがニューヨークに生まれる。
1920年 - ニューヨーク5番街に「The Premier Diamond Company」を設立。
1932年 - ニューヨーク5番街ハリー・ウィンストン社を設立。
1949年 - 45.52カラットの世界最大の青いダイヤ「ホープ」[注 2]を手に入れる。その後数年にわたってアメリカ国内各地で展示する。
1958年 - 「ホープ」をアメリカ国民のためにとスミソニアン博物館に寄贈。
1963年 - 127.01カラットの「ポルチュギーズ・ダイヤモンド」を同博物館に寄贈。
1964年 - 253.7カラットの世界最大級のダイヤモンド原石の完璧な結晶体「オッペンハイマー」を同博物館に寄贈。
1978年 - 死去。2人の息子が会社を受け継ぐが、長年に渡り経営権を巡り争うこととなる。

BVLGARI ブルガリ

ブルガリ(Bulgari /BVLGARI )は、ギリシャ系イタリア人のソティリオ・ブルガリ1884年にイタリアのローマに創業した高級宝飾品ブランドである。フランスの企業グループであるLVMHに属する。

 

元は高級宝飾店として開業したが、1977年から腕時計の製造も始めた。2000年代以降は、香水やメガネフレーム、レザーアイテム(ハンドバッグや財布)なども取り扱っており、リゾート・ホテルの経営にも乗り出している。宝飾品、時計、バッグなどにみられるヘビの頭部をあしらった意匠などがブランドアイコンとされる。

1970年代にニューヨークに海外1号店を出店。現在は世界中に150ほどの直営店があり、日本では東京都千代田区紀尾井町に本店がある。日本全国では40店舗ほどあり、2007年には銀座でレストランやバーも備えたブルガリ最大の旗艦店となる銀座タワー店が完成した[1]。2012年には大阪の阪急うめだ本店に、世界初となるインストアカフェを併設した店舗をオープンした。

2011年3月に創業家とLVMHとの株式交換が行われ、会社がLVMH傘下に入ると同時に、ブルガリ創業家がLVMHの株式の一部を保有する形となった[2]。これに伴い、かねてよりルイ・ヴィトンクリスチャン・ディオール、ならびにフェンディなどの要職を歴任してきたマイケル・バークがLVMHより赴任[3]。翌2012年2月をもって、創業家以外で初のCEOに就任している[4]。

なおLVMHグループ入りの際には、LVMHによる買収ではなく株式交換の形をとっており、LVMHのブルガリ株式保有分をブルガリ家が株式交換で入手したLVMH株と交換することを申し入れることができるという条項が付けられている。

 

1884年 - 創業。宝飾店をローマ・システィーナ通りにオープン。
1970年代 - 米ニューヨークに海外1号店を出店。
1991年 - 日本進出。ブルガリ・ジャパン設立。
1995年 - イタリア証券取引所に上場。
2004年 - ホテル事業に進出。ブルガリホテル・ミラノオープン。
2011年 - 創業家による株式交換によりLVMH傘下に入る。

Tiffany & Co. ティファニー

ティファニー(英称:Tiffany & Co.)は、世界的に有名な宝飾品および銀製品のブランドである。

 

1837年9月18日にアメリカで創業され、今日では、ロンドン・ローマ・シドニー・東京など世界20カ国にブランドショップを持っている。

日本では、クリスマスなどの贈り物としてオープンハートのペンダントが人気である。また、アイテムとしてはマイナーな部類に入るが、テンプルパーツの交換で多彩な表情が楽しめるサングラスも展開されている。発売元はレイバンプラダなどと同じミラリジャパンである。

 

1837年9月18日にチャールズ・ルイス・ティファニー(en)とジョン・B・ヤングの二人は、ティファニーの前身であるティファニー・アンド・ヤングという会社を設立した。

一番初めの店はニューヨークのブロードウェイ259番地におかれた。この店は当時一般的な時価でなく、「各商品に値札をつけ値引き交渉に応じない」という当時としては革命的なポリシーを貫いており、文房具や装飾品などを扱っていた。

1848年フランスでの二月革命発生に伴い、貴族から重要な宝石を買い入れ、宝石事業に進出した。この事業が大成功し、アメリカ第一の宝石商という現在の地位に繋がる。

1851年にニューヨークの銀細工師、ジョン・C・ムーアの事業を買収し銀製品製造を開始。アメリカ企業としては初めてスターリングシルバー基準を適用した。

1853年、チャールズ・ルイス・ティファニーは会社の全権を握り、社名を今の、Tiffany & Co.に改称した。そして本店の入り口にはギリシア神話の巨人、アトラースに支えられた大時計が設置された。ティファニーブルーと呼ばれるカンパニーカラーを初めて使用する。以降時計事業にも進出し、スイスに工場を設立する。

1877年に南アフリカのキンバリーで発見された287.42カラットのイエロー・ダイヤモンドの原石を1878年18000ドルで購入、Dr.ジョージ・フレデリック・クンツにカットさせた。このダイヤは128.54カラットの有名な「ティファニー・ダイヤモンド」として本店に展示されている。

1886年ダイヤモンドが最も美しく輝くセッティング(石留め)としてティファニーセッティングをデザイン。ラウンドブリリアントカットのダイヤモンドを6本の細い爪で支える立て爪のセッティングで、これは現在のエンゲージメントリングなどで主流とされている代表的なものである。

1967年にタンザニアで発見された青色のゾイサイトタンザナイトと名付け売り出した。タンザナイトの産出は年々減少している。

本店は1940年にニューヨークの5番街・57丁目に移転した。この店はオードリー・ヘプバーンが主演した映画『ティファニーで朝食を』のおかげで観光名所の一つとなっている。

2007年12月、スウォッチ・グループは、今後20年間にわたってティファニーが扱う時計に関して戦略的な 提携を行うと発表[1]。 2008年に合弁を開始したが、2011年末にわずか4年で提携を解消した。2015年、新たな腕時計のコレクションの発売を開始した。

新たなサービスとして2019年1月9日以降に新たにご購入されたすべてのダイヤモンド リングについて、個別登録済みティファニーダイヤモンド一つ一つの原産地情報を店舗またはティファニー カスタマーサービスにて提供を開始した。この情報は近日中に、ティファニー ダイヤモンド鑑定書に記載されるようになる。 原産地の明記により、責任ある資源調達を行っていることを世界的に確約すると同時に、2020年までには個々のダイヤモンドのカットや研磨といった製造工程情報の公開も予定している。

Cartier カルティエ

カルティエCartier SA)は、フランスの高級宝飾ブランド。「Jeweller of kings , king of jewellers 王の宝石商、宝石商の王」(エドワード7世の言葉)と言われる名門ブランドである。

 

革製品、ライター、筆記用具なども扱っている。リシュモングループの傘下にある[1]。

1980年代後半まで日本市場では「カルチェ」と表示、発音されていたが、それ以降本国や英語圏市場での発音に近い「カルティエ」に統一され現在に至っている。

 

1847年 - フランス人宝石細工師ルイ=フランソワ・カルティエ、師のアドルフ・ピカールからパリのモントルグイユ通り29番地(現在のパリ1区レ・アール地区のエティエンヌ・マルセル通り界隈)のジュエリー工房を受け継ぐ。
1853年 - パレ・ロワイヤルにほど近いヌーヴ・デ・プティ・シャン通り5番地(現在のパリ2区)に、個人顧客を対象としたジュエリーブティックを構える。
1859年 - パリ2区イタリアン大通り9番地に移転する。ウジェニー皇后が顧客となる。
1872年 - ルイ=フランソワ・カルティエ、息子のアルフレッド・カルティエを共同経営者に据える。
1898年 - アルフレッド・カルティエ、息子のルイ・カルティエを共同経営者にする。社名を「アルフレッド・カルティエ&フィス」に変更。
1898年 - ヴァンドーム広場北側のパリ2区ラ・ペ通り13番地へ移転。
1900年 - 長年の研究によりプラチナ使用によるガーランド様式が完成。
1902年 - ロンドンのニュー・バーリントン通り4番地(現在のウェストミンスター区)にロンドン支店を開店、ルイの弟ピエール・C・カルティエ(英語版)が経営を任される。
1904年 - 英国王エドワード7世およびスペイン国王アルフォンソ13世の御用達となる。ルイ=フランソワ・カルティエが死去。ルイ・カルティエがアルベルト・サントス・デュモンのためにレザーストラップの腕時計をデザインする。
1905年 - ポルトガル国王カルロス1世の御用達となる。
1906年 - ジャック・カルティエ、ロンドン支店の経営を引き継ぐ。ルイとピエールとで共同経営を開始、社名を「カルティエ・フレール(兄弟)」とする。「トノーウォッチ」を作製。
1907年 - ロシア皇帝ニコライ2世の御用達となる。
1908年 - シャム国王ラーマ5世の御用達となる。
1909年 - ロンドン支店がニュー・ボンド・ストリート175-176番地(現在のウェストミンスター区)に移転。ピエールがニューヨークのマンハッタン区5番街712番地にニューヨーク支店を開店。
1917年 - ピエールがモートン・F・プラント邸を最高級真珠の2連ネックレスと交換し、ニューヨーク支店を5番街653番地へ移す。
1921年 - のちのエドワード8世の御用達となる。
1925年 - アルフレッド・カルティエ死去。
1941年 - ジャック・カルティエ死去。
1942年 - ルイ・カルティエ死去。
1945年 - ピエール・C・カルティエがパリおよびニューヨークの経営責任者となる。ジャック・カルティエの息子ジャン=ジャック・カルティエがロンドンのカルティエを引き継ぐ。
1964年 - ピエール・C・カルティエ死去。
1974年 - 日本で初めてのブティックが東京原宿・パレフランス2階にオープンする。
1979年 - 事業再編成が行われ、カルティエ・パリ、カルティエ・ロンドン、カルティエ・ニューヨークの親会社として、カルティエ・モンドが設立される。ジョゼフ・カヌイがカルティエ・モンドの社長に任命される。
1984年 - パリ14区にカルティエ現代美術財団が設立される。
1993年 - リシュモンの傘下に入る。
2003年 - シャンゼリゼ大通り154番地にブティックを開店。