元ユニクロ店員のブログ

元ユニクロ店員のファッションブログです

WTAPS ダブルタップス

「WTAPS(ダブルタップス)」は、日本を代表するストリートブランド。このブランドを手掛ける西山徹は1974年2月14日生まれ。

東京都渋谷区出身のファッションデザイナー。他にも様々なブランドやショップの立ち上げ、音楽関係の仕事にかかわり、多方面で活躍するクリエイターである。1993年、東京・原宿にて友人らと「FORTY PERCENTS AGAINST RIGHTS(FPAR)」(フォーティーパーセント アゲインストライツ)をスタート。シルクスクリーンプリントを用いたグラフィックTシャツなどのアイテムを中心としたブランドを展開。1996年にFPARを休止し、後に新たなブランド「WTAPS」を立ち上げ活動を再開させる。

WTAPSは「あるべきものをあるべき場所へ」をコンセプトに年2回コレクションを発表。そのモノの本質があるべきかたちであり、そのモノが役割を果たせる場所を与え、配することがデザインのすべてだと考え、飽きのこないベーシックなアイテムを展開する。これは、宮大工の職人たちの哲学である「木の特性をもって活かす」をもとにしている。

2011年、渋谷区神南に初の旗艦店「GIP-STORE」をオープン。店名はGUERRILLA THE INCUBATION PERIOD(ゲリラの潜伏場所)の頭文字から付けられ、ミリタリーを体現した内装となっている。

本物志向なミリタリーエッセンスを汲みとりながら、シルエットやディテールを再構築。その枠だけにはとどまらない斬新なアイテムを提案している。

M-65などをはじめとするミリタリーウェアを中心に、シャツ、デニム、Tシャツといった普遍的なアイテム。1つ1つこだわりを持ったクオリティの高さも人気の一つだ。

西山は2014年に自叙伝「MY LIFE IS THIS LIFE」を発表。新たなブランド「DESCENDANT」もスタートした。子孫という意味を持つブランド名が表す通り、次の世代へと受け継いでゆく丁寧なものつくりでフルラインナップを展開する。
「VANS(ヴァンズ)」、「シュプリーム(SUPREME)」、「ステューシー(STUSSY)」、「ドクター マーチン(DR.MARTENS)」等とのコラボレーションも行っている。

なかでもアメリカ西海岸発のスケートスニーカーブランド「VANS(ヴァンズ)」とのコラボレーションスニーカーは発表される毎に話題を呼ぶ人気のアイテム。

例えば真っ白なアッパーにシンプルな赤青緑のアウトソール。

一歩間違えば学校の上履きになってしまうカラーリングを、シュータンに入ったダブルタップスのロゴやデザイン、色の配置により、大人の男らしさを表現するカジュアルシューズとして提案。

また2016年には「クロスボーン柄」をあしらったスニーカーやウェア、同時にアリゲーターを彷彿させる型押しカウレザーシューズを発表した。「WTAPS」は、裏原系を着こなす、お洒落な芸能人、俳優、高良健吾さんや窪塚洋介さんといったストリートシーンにおけるアイコンの人たちによって愛用されている。無骨な大人の男を意識した媚びないスタイル。

そのスタイルを貫き、長年にわたって活動している人気ストリートブランド。

Y-3 ワイスリー

2002年10月パリにて、「Y-3(ワイスリー)」を発表。

 

2002年10月に、アディダス山本耀司をY-3クリエイティブ・ディレクターに迎え「Y-3(ワイスリー)」を発表。

アディダスのトレードマークである3本線の配置やパターン、色使いに山本耀司が作り出す独特なテイストを加えて、トレンド、ファッション性の高いスポーツウェア、モダンなスポーツスタイルを表現している。革新的なスポーツウェアとして注目を集める。

アディダスとヨウジ ヤマモトは2001A/Wシーズンからコラボレーションのプロジェクトを開始。「adidas for Yohji Yamamoto 」のブランド名で限定的にコレクションを展開していた。

 
スタート時はパリにて発表していたが2005年より、ニューヨークコレクションに発表の場を変更。2014年秋冬コレクションより、パリへ場所を移し、メンズ・ファッション・ウィークにて新コレクションを発表している。

2006年、東京、表参道(南青山)に日本初の旗艦店をオープン。ウェア、シューズ、バッグ、アクセサリーまでトータルで取り揃えている。また同年、中国、北京にショップをオープン。

2009年、アーティストのMOMOとコラボレーションで定スニーカーやウェアを発表。

2010S/Sからサムソナイトとコラボレーションで「Y-3」ブランドのトラベルバッグなど、レザーアクセサリー製品を製造・販売する。

2017年3月には、東京・表参道ヒルズに新店をオープン。※現在、表参道の旗艦店は閉店。

 

HUF ハフ

HUF(ハフ)の創設者Keith Hufnagel(キース・ハフナゲル)は80年代後半、舗装もされていないNew Yorkの路地でスケボーして育った。当時スケートボードとはパンクやヒップホップのように荒くれ者のカウンターカルチャー(反体制文化)として一般に受け入れられてはいなかった。そしてそんな環境がHufnagelの物の見方や考え方の基盤を造り上げた。

1992年、Hufnagelはスケボーをさらに追求しようとSan Franciscoに移り住んだ。そして間もなくプロスケーターになり、スケボーを通して世界中を旅して廻るという環境に恵まれた。”do-it-yourself”スタイルでスケボーしながら育ち、そんな自分を作り上げたSan Franciscoテンダーロインディストリクトの片隅に、それまで他に無かったスタイルの小さいブティックをオープンさせた。Hufnagelはスケートボード、ストリートファッション、そしてスニーカーなどの各分野で最もリスペクトされているブランドを取り扱う店を目指し”HUF”と名付け、ベイエリアで入手困難な商品が手に入るプレミアショップとして瞬く間に広がっていった。

ショップの急速な成長とその人気を確信したHufnagelは、スケートボード、ストリートファッション、スニーカー文化を落とし込んだ自身のブランド ”HUF” を立ち上げた。そして約12年が経ち、HUFはプレミアムアパレル、フットウェアー、そしてスケートボードグッズを提供するまでのブランドに成長した。

ブランド成長とともにいろいろな変化を遂げながらも、Hufnagelはコアとなる変わらぬ信念を持ち続けている。彼にとってのスケートボードとは単なる”ホビー”や、”スポーツ”と片付けてしまえる単純な物ではなく、人生の一つのあり方として見ている。それは様々な種類のカウンターカルチャーを掛け合わせた一つのライフスタイルであり、アーティストやミュージシャン、フォトグラファー、その他あらゆるクリエイティブな個々がスケートボードの枠を超えて繋がる世界である。

 

HUFはクラシックなアメリカの職人技、色褪せないヴィンテージデザイン、そして現代の洗練された実用性のあるディテールを落とし込んだ、過去と現代を融合した新しく良質な商品作りを目指している。長年着込まれても耐え抜いてきた頑丈なヴィンテージの生地や構造を取り入れて、今日のスケボーの激しい動きにも十分に耐えられる商品を作り出す。また、カジュアルなグラフィックやスローガンの中に、知的な要素とその反面、ある意味無頓着な要素を掛け合わせた、まるでスケーターとアーティストの融合のような物作りである。

Hufnagelの最優先は常にスケボーし続ける事。彼はHUFの商品と、 HUFが提供できる様々な可能性を通して、スケート、ストリート、スニーカーコミュニティーという自分を築き上げてくれた環境に、彼なりのリスペクト、恩返しとして貢献し続けていく。HufnagelはHUFのディレクターとして商品作りに関わる傍ら、彼のチームライダーやスケート友達と世界中をツアーし続ける事により、常に独自のビジョンを磨き続けている。

 

スケートボーダーによるブランドHUFは、単に洗練された最先端のスケートブランドではなく、スケートボードに共鳴する様々なカウンターカルチャーに精通する人々に向けたブランドである。ステータスにとらわれずに自分の将来は自分で造れ。do it yourself, do it in style.
HUF WORLDWIDE DBC // EST 2002 // T-1 KCUF

MONCLER モンクレール

モンクレール(MONCLER)は、ダウンジャケットなどを提供するフランス発祥のファッションブランドの一つである。現在はイタリアのミラノに本社を置いている。
 
ダウンジャケットメーカーとして1952年、フランスのグルノーブル郊外「モネスティエ・ドゥ・クレルモン (Monestier-de-Clermont) 」で創業され、頭文字を取ってMon clerと名づけられた。

アルピニストの要望に応えるために研究を続け、1954年イタリア・カラコラム登頂隊、1955年フランス・マカル登頂隊、1964年アメリカ・アラスカ遠征隊などの装備に採用され、1968年のグルノーブルオリンピックでフランス・ナショナルチームの公式ウェアに採用された。

モンクレールのダウンジャケットは、AFNOR(フランス規格協会)から「4Flcorons(キャトル・フロコン)」が与えられており、グースの産毛を使用し、各部位ごとにあわせて1g単位で決められ、職人によって生産されていくため、大量生産ができない製品という特徴がある。また、品質や機能性のみでなく、ダウンジャケットでありながら身体のラインが綺麗に見えるデザインである。 近年ではポロシャツなど、ダウンジャケット以外の商品展開も見せている。
 
日本での販売
日本では、八木通商との合弁会社現地法人モンクレールジャパンが輸入、販売しており、直営店、大手百貨店、セレクトショップ等で購入することができる。この流通経路のモンクレール製品には正規品であることを証明するカスタマーカードが付いている。並行輸入して販売しているショップも多くあるが、並行輸入品にはカスタマーカードは付いておらず、正規品である保証はない状態となる。

2005年に木村拓哉がCMなどで着用した。2008年にはモンクレール製品を納品すると業者に偽り、1000万円を騙し取る詐欺事件までも発生するに至っている。

Jean-Paul GAULTIER ジャン=ポール・ゴルティエ

ジャン=ポール・ゴルティエ(Jean-Paul GAULTIER, 1952年4月24日 - )は、フランス・オー=ド=セーヌ県バニュー生まれのファッションデザイナーであり、また彼の持つファッションブランドである。
 
祖母がお針子で洋裁の基本を幼時から遊び乍ら身に付け、デザイナーになるための教育は受けなかったという。その代わり、自分のスケッチをスタイリストなどに送り、認められてピエール・カルダンのアシスタントになった。1976年に初めて自分のレディース・コレクションJean-Paul GAULTIERを発表。1977年3月パリの「バスストップ」(オンワード樫山経営)の専属デザイナーに応募し、女性店長の強い推薦で馬場彰社長が採用を決めた[1]。1978年にオンワード樫山とスティリスト契約を結び独立。1981年からオンワード樫山とライセンス契約をした。1980年代には下着ルックやボンデージ・ファッションなどを発表して話題になった。1984年春夏からメンズ・コレクションを発表。1997年春夏コレクションからオートクチュール・コレクションGAULTIER PARISも発表している。

2004年秋冬からエルメスのレディース・プレタポルテのデザイナーも兼任している。

映画の衣装もしばしば手がけている。

フィフス・エレメント」(リュック・ベッソン)、
「コックと泥棒、その妻と愛人」(ピーター・グリーナウェイ)、
「キカ」(ペドロ・アルモドバル
ロスト・チルドレン」(ジャン=ピエール・ジュネ
などは彼が衣装を手掛けた作品である。

マドンナの舞台衣装も製作したことがある。また、クリス・カニンガムが手掛けたプロモーション・ビデオFrozenでもマドンナは彼のドレスを着ている。

日本のアーティストにもファンが多く、80年代に活躍したBOØWYが樫山とのタイアップで衣装を着用したり、1989年には、THE ALFEEのライブとゴルティエのファッションショーが融合したイベントツアー「THE ALFEE with Jean-Paul GAULTIERツアー」を催した。このツアーでは、ALFEEのメンバーの衣装をJean-Paul GAULTIERで統一。前半と後半の間では15分間のファッションショーが催された。

宝塚歌劇花組公演「SPEAKEASY〜風の街の悪党たち」(1998年上演)や星組公演「プラハの春」(2002年上演)の衣装も手がけたことでも知られている。

Jil Sander ジル・サンダー

ヘイドメリー・ジリーン・サンダー(ドイツ語: Heidemarie Jiline Sander, 1943年11月27日 - )、通称ジル・サンダーJil Sander)は、ドイツ出身のファッションデザイナーであり、また本人が立ち上げた世界的ファッションブランドである。

企業としてはジル・サンダーを商号・ブランド名として使用していた。プラダグループなどを経て、2014年以降オンワードホールディングスオンワード樫山)の傘下にあり、企業名としてはオンワードグローバルファッション (OGF) に改称。

ジル・サンダー」は英語発音で、ドイツ語(標準)では、「ハイデマリー・イリーネ“イル”ザンダー」と発音される。

 

デザイナー

ジル・サンダー(〜2000A/W、2004S/S〜2005S/S、2013S/S〜)
ミラン・ヴィクミロヴィッチ(2001A/W〜2003A/W)
ラフ・シモンズ(2006A/W〜2012A/W)
ロドルフォ・パリアルンガ(2015S/S〜2017A/W)
ルーシー&ルーク・メイヤー夫妻(2018S/S〜)
※クリエイティブ・ディレクター不在時にはディレクションはデザインチームによって行われている。

 

RAF SIMONS ラフ・シモンズ

1995年、ラフ シモンズが自身の名を冠したブランド「ラフ シモンズ」を発表。

 

ラフ シモンズ(RAF SIMONS)はベルギー、フランスを拠点とするのファッションブランド。主にメンズウェアを展開。トラッドでクラッシックなテーラードスタイルと、反抗的な若者文化からインスピレーションをうけて、両者を融合させた、テーラードとユースカルチャーの融合がデザインの特徴。

 
ラフ シモンズのデザイナープロフィール
創業者のラフ シモンズは1968年、ベルギーのニールペルト郊外のゲンクで生まれる。大学は工業デザイン学校に入学し写真やビデオ等を学ぶ。ファッションにおける正規の教育は受けていない。学生時代に研修でウォルター・ヴァン・べイレンドンクのアントワープオフィスで働いたことがきっかけで、ファッションに興味を持つ。

大学卒業後、家具のギャラリーで2年間働き、インテリアデザイナーとして活躍するが、しだいにファッションへ興味が向かい、独学で服作りを学ぶ。ラフシモンズ本人はマルタン マルジェラのコレクションを見てファッションの仕事をしようと決めたと言う。

自ら作った服を持ち、アントワープに移り、アントワープ王立美術アカデミーのファッション学科ディレクター、リンダ・ロッパに出会う。そこでファッションへの方向転換を決意。ラフシモンズ自身はアントワープ芸術アカデミーへの入学を希望したがリンダ・ロッパに「あなたはうちの学校で学ぶ必要がない」といわれ引き続き独学で服作りを学んでゆく。

リンダ・ロッパの後押しもあり1995年秋冬、ミラノの展示会でプレゼンテーション形式で自身のブランド「ラフ シモンズ」のコレクションを発表。その後3シーズンはパリの展示会で発表。

1997-1998年秋冬より、パリ メンズ プレタポルテ・コレクションに初参加。1999S/Sと1999-2000A/Wシーズン、イタリアの高級革製品メーカーのルッフォ社が展開するルッフォ リサーチのデザインを、ヴェロニク ブランキーノとともに担当。シモンズはこのコレクションでメンズを担当した。

その後、1999-2000年秋冬を最後に1シーズンコレクション活動を休止。2000年10月からウィーンの応用美術大学でファッションを教える。活動を休止した理由としては「自分自身のクリエーションにしっくりきていなかったのです。すこし考えたかった」「休養期間」「会社の内部構造を立て直す」ことなどが上げられている。

休養中にベルギーのメーカー「CIG」と協力体制を作り、2001-2002年秋冬コレクションからデザイングループを結成し再始動。このコレクションはアントワープの街中でスカウトした素人をモデルとして起用。何重にも重ね着をしたスタイルで復帰早々話題となる。

2003年11月29日、スイスのルツェルンで行われたコンテンポラリー・デザイナーコンクールでグランプリを受賞。2005年7月1日より、ジル・サンダーメンズウェア及びレディースウェアのクリエイティブ・ディレクターを務める。

2006年春夏より、ディフュージョンライン「ラフ・バイ・ラフ シモンズ(RAF BY RAF SIMONS)」を展開。

2008年、東京に世界初の旗艦店をオープン。その後大阪にも旗艦店をオープン(これらは後にクローズ)。同年、イーストパックとコラボレーションで「イーストパック・ラフシモンズ(EASTPAK RAF SIMONS)」を発表。2008A/Wシーズンより、フレッドペリーとコラボレーションライン「RAF SIMONS FRED PERRY Collaboration」を発表し、ポロシャツやカーディガンなどのコレクションを展開した。

2011年、「RAF BY RAF SIMONS」の展開が終了し、ブランド設立15周年を記念してスタートしたNEWレンジ「RAF SIMONS 1995」の展開をスタート。

2012年秋冬コレクションを最後にジル・サンダーのクリエイティブ・ディレクターを退任。同年、クリスチャン ディオールのアーティスティック・ディレクターに就任。

2013年、アディダスとラフ・シモンズがコラボレーションでのカプセルコレクション「アディダス バイ ラフ・シモンズ(adidas by Raf Simons)」を発表。

2015年、ディオールのアーティスティック・ディレクターを退任。

2016年8月2日、カルバン クライン(Calvin Klein)のチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任。

2017年、CFDAファッションアワードで、ラフ・シモンズがウィメンズウェア部門とメンズウェア部門両方のデザイナー・オブ・ザ・イヤー賞を受賞した。

2018年、カルバン クラインのディレクターを退任。