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川久保玲

川久保 玲(かわくぼ れい、女性、1942年10月11日[1] - )は、日本のファッションデザイナーで、ファッションブランド「コムデギャルソン」の創始者[2]。株式会社コムデギャルソンの創業者にして設立から現在に至るまで代表取締役社長を務めるオーナーデザイナー。

 

東京に出生。父親は慶應義塾大学の職員であった。慶應義塾大学文学部哲学科を卒業後、株式会社旭化成宣伝部に入社。3年で退職し、フリーランスのスタイリストとなる。
1969年にファッションブランド「コムデギャルソン」(Comme des Garçons、仏:少年のように)を立ち上げ、高級既製服(プレタポルテ、婦人服)の製造・販売を開始。1973年には株式会社コムデギャルソンを設立し、現在も同社社長を務める。
1975年、東京コレクション初参加。
1981年、パリコレクション初参加。体の線を意識し女性性を謳歌するような西洋のデザインとは全く異なる、川久保の直線的でノンセクシャルな初パリ・コレクションは、ボロ布のようだ、ヒロシマ・シックなどと揶揄されたが、そのアバンギャルドな服作りは、パリのファッション界に大きな衝撃を与えた。[3]
1982年、パリコレで伝説の黒服を発表。パリ・オートクチュールを頂点とする世界のモード界を震撼させた川久保の「黒服、穴あきニット(Hole Sweater)」は「黒の衝撃」と呼称された。世界中のファッション・ジャーナリストが賛否両論書きたて、「西洋の服への冒涜!」とする否定派と「新しい女性の生き方」「新しい美しさの提案」とする賛成派で、国際世論は真っ二つに割れた。黒い穴あきセーターを「スイスチーズ(穴あき)のセーター(Swiss cheese sweaters)」と命名したファッションジャーナリスト(Suzy Menkes氏 I・H・T紙)もいた。川久保の黒い穴あきセーターは、日本でも「カラス族」「ぼろルック」として流行した。
1997年のパリコレシクョンでは、体に不自然なコブを付けたライン(テーマ:ボディ ミーツ ドレス、ドレス ミーツ ボディ)を打ち出し[4]、体と服の相互の束縛を解き放つという新しいコンセプトで、尖鋭的なデザイナーとしての地位を確立した[5]。
夫は南アフリカ出身であり、コムデギャルソン・インターナショナルのCEOを務める。もともとは日本語とチベット語専攻のため来日。ファッションデザイナーになった実妹の東京でのビジネスを手伝ったのがきっかけで、ファッション業界に関わり、1987年にパリのコムデギャルソンで働いた。1991年に退職して地中海クラブに移ったが、川久保の要請で翌年コムデギャルソンに戻り、川久保と結婚した。インタビューで夫は「皆誤解しているが、彼女は古い木や犬や猫、大粒のダイヤモンドが好きな優しい女性だ」と述べている[6]。
2001年、芸術選奨受賞。2006年から英スピード社と提携しており、同社製高速水着レーザー・レーサー」の五輪公式デザインも手掛けた。
2012年、ファッション界のオスカー賞と称される、米「CFDA(Council of Fashion Designers of America)ファッション アワード(国際賞)」を受賞(69歳)。
2017年、ニューヨークのメトロポリタン美術館で「Rei Kawakubo/Comme des Garcons  Art of the In-Between」展を開催。展覧会のレポートや独占インタビュー、作品アーカイブなど、同美術館キュレーターのアンドリュー・ボルトン(英語版)よって同年5月から9月までの開催期間にコム デ ギャルソンが多角的に展示紹介された。
2019年の「イサム・ノグチ賞」を受賞することが判明。ファションの分野からの受賞は初めて。