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adidas アディダス

アディダス (adidas) は、ドイツのバイエルン州に本社を置くスポーツ用品メーカー。サッカー日本代表のユニフォームは、このアディダスが制作している。

 

1900年 - アディダス創始者であるアドルフ・ダスラーがドイツのニュルンベルク近郊のヘルツォーゲンアウラッハで、靴職人の息子として誕生。
1920年 - ニュルンベルク近郊のヘルツォーゲンアウラッハで、兄ルドルフ・弟アドルフのダスラー兄弟が靴製造の会社「ダスラー兄弟商会」を設立。主にルドルフが販売、アドルフが生産を担当した。
1948年 - 兄弟の意見対立により「ダスラー兄弟商会」を解消、アドルフはアディダス社を設立する。社名の「アディダス」はアドルフの愛称「アディ」と「ダスラー」をつなげたもの。なお、兄ルドルフはRUDA社を設立。これが翌年、プーマ社となった。
1951年 - フィンランドのスポーツブランドKARHUより3本線(スリーストライプ)の登録商標の権利譲渡を受ける。
1965年 - テニスシューズ「ハイレット」を発表。これが後のスタン・スミスとなった。
1970年 - オールレザーのバスケットシューズ、「スーパースター」発表。
1970年以降、アドルフの息子であるホルスト・ダスラーが実権を握り始める。ホルストはスポーツ広告代理店インターナショナル・スポーツ・アンド・レジャー(ISL)を電通と共同で設立し、フアン・アントニオ・サマランチ(第7代IOC会長)やジョアン・アヴェランジェ(第7代FIFA会長)、プリモ・ネビオロ(第4代IAAF会長)らといったスポーツ界の大物達と太い人脈を持ったことなどから、後の近代オリンピックやFIFAワールドカップといった大規模なスポーツイベントの商業化に大きな影響を与えたとされる[2]。また、これによりスポーツ界全般においても大きな力を持つようになった。この時期、アディダスは売上高で世界一のスポーツ用品メーカーであった。
1987年 4月10日 - ホルスト・ダスラーが51歳で病死した。アドルフの娘たちとホルストの息子たちとの間での経営権争いもあり、アディダスの経営は迷走を始めた。
1990年 - フランス人実業家ベルナール・タピが株式の過半を取得、経営権を握る。これによりダスラー家とアディダスとの資本関係はほぼ消滅した。この頃、アディダスはナイキ、リーボックに次ぐ業界3番手に転落していた。
1993年 - 銀行団主導でフランス人実業家の「ロベール・ルイ・ドレフュス」が経営権を握る。ドレフュスのもとでアディダスは黒字化、復活を果たした。
1995年 - フランクフルト証券取引所に上場。
1997年 - ウインタースポーツ用品メーカーのサロモンを買収。世界ナンバー2のスポーツ用品メーカー、アディダス−サロモングループになる。これによりテーラーメイドゴルフを傘下とする。
2005年 - リーボック株を取得し、リーボックをグループに加える。10月25日、フィンランドのスポーツ用品メーカー、アメアスポーツコーポレーションにサロモン部門を売却。
2015年 - ラッパーのカニエ・ウェストとのコラボレーションライン「YEEZY」をスタートさせる[3]。
2017年 - テーラーメイドゴルフを含むゴルフ部門(アパレル及びシューズ事業を除く)を投資会社に売却[4]。