元ユニクロ店員のブログ

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Burberry バーバリー

1924年、コートの裏地として使用されていたデザインを「バーバリー・チェック」として宣伝し、一大ブームを起こす。
1967年、パリのショーで発表された傘にバーバリー・チェックをコートの裏地以外で初めて使用。その後、バッグやマフラーなど様々なファッションアイテムに使用された。カラーバリエーションも最初のキャメル/赤/黒/白だけでなく、様々なカラーバリエーションを展開している。これらを「バーバリー・ロンドン」として長らく展開してきた。
1970年代以降、ブランドが市民の間でカジュアル化しサブカルチャーとの結び付きが増加、「プロールドリフト(プロレタリアン・ドリフトの略。高級商品やサービスの一般化を指し、ポール・ファッセルが著書『階級』で言及した)[3]」の一例として顧客層が大きく変化した。サッカーのフーリガンや不良学生、韓国でバーバリーマンと呼ばれるコート男型露出狂など、低俗さと結び付けた連想をされる傾向が1990年代まで続いた。このような結果、ブランドイメージは大きく低迷した。
1989年、創業以来の独立企業からグレート・ユニバーサル・ストアズ (GUS) に買収される。
1991年、普段着の新ブランド「トーマス・バーバリー」を英国でスタートし、2002年まで展開していた。
1997年、アメリカの高級デパートサックス・フィフス・アベニューの社長だったローズマリー・ブラヴォーが社長兼CEOに就任。彼女は、バーバリーの伝統的なイメージにモード性とモダン性を埋め込こみ、それを全世界統一のビジュアルキャンペーンとコレクションで表現したいと考え改革に着手。
1999年、デザインを統括するクリエイティブ・ディレクターにジル・サンダーのアシスタントデザイナーのロベルト・メニケッティを迎え、コレクションラインの「バーバリー・プローサム コレクション」を発表。ブランド名も「Burberry'S」から「BURBERRY」に、アイテムの大半も変更し新生バーバリーをスタートした。
2000年、子供服ラインのバーバリー・チルドレンを展開開始。
2001年、クリエイティブ・ディレクターのロベルト・メニケッティが退任、新たにグッチのレディース部門のシニアデザイナーを務めていたクリストファー・ベイリーを迎えた。
2002年、ロンドン証券取引所に上場。のちにFTSE 100の構成銘柄にも採用された。
2005年、ローズマリー・ブラヴォーがCEOを退任、アンジェラ・アーレンツに交代。
2006年、アメリカと、続いてイギリスにてオンラインショップを開始、2007年にはヨーロッパ全土へエリア拡大。
2009年、ロンドン・ウェストミンスターに新たなグローバル本社をオープン。クリストファー・ベイリーが新設ポジションのチーフ・クリエイティブ・オフィサー (CCO) に就任。2009年、バーバリーロンドンから分岐する形でデニム&アウターラインの「バーバリー・ブリット」とスポーツラインの「バーバリー・スポーツ」を展開開始。
2009年、ARTOFTHETRENCH.COMと名づけられた、ソーシャル・ネットワーキング・サイトを開始。
2010年、ロンドン・ファッションウィークとBFC(英国ファッション評議会)の創立25周年を記念し「バーバリー・プローサム」のレディースコレクションを発表。
2011年、バーバリーワールドストアオープン。全世界にオンラインショッピング展開開始。
2012年、バーバリーロンドンのスーツアイテム拡充を目的として同ライン内に「バーバリーロンドン・テーラリング」を新設。同時にアイテム数の少なかった「バーバリー・スポーツ」を「バーバリー・ブリット」内に統合し、現在ワールドワイドではこれら「プローサム」「ロンドン」「ブリット」「チルドレン」の4種のラインを展開中である。
2016年、バーバリーは、「バーバリー プローサム」「バーバリー ロンドン」「バーバリー ブリット」の3つのコレクションを「バーバリー」レーベルに統合すると発表
2017年、ジバンシーセリーヌなどでCEOを務めてきたマルコ・コベッティがCEOに加わる[4]。CCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)でCEOのクリストファー・ベイリーが退任を発表[5]。
2018年、CCOにリカルド・ティッシが就任。