元ユニクロ店員のブログ

元ユニクロ店員のファッションブログです

TTT_MSW ティー

ティー(TTT_MSW)は、2013年デザイナー玉田翔太が東京でポップアップストアをオープンしたのが始まり。

ティーについて

ティー(TTT_MSW)は東京発のストリートブランド。サブネームである「MSW」はモダンストリートウエアの略。ブランド名の通り、モダンなデザインでありながら、ストリートなどライフスタイルの一部となりうる高品質なウェアを提案。「ジャンルレス、ジェンダレス、ボーダレス」をコンセプトに掲げている。

デザイナー玉田翔太は大阪府出身。ポップアップを出店するなど精力的に活動。2016年2月、ニューヨークで期間限定ストアを展開。

初めてのポップアップショップを東京でオープン後、同ブランドは若者を中心に支持を得て、原宿カルチャーに浸透。元々モード好きだったデザイナーの生み出すストリートファッションは、ありそうでなかった特殊素材を取り入れるなど存在感のあるアイテムを展開している。

BUTTERO ブッテロ

1974年、イタリア・トスカーナにてマウロ・サーニにより創業。

ブッテロについて

マウロ・サーニ(Mauro Sani)は1964年に自身の名を冠したブランドをイタリア・トスカーナで展開していた。

そんな中、各地を旅するなかでブッテリ(アメリカのカウボーイのイタリアンバージョン)のスタイルに影響を受け、ウェスタンブーツや乗馬ブーツを製作し、1974年にはブランド名を現在のブッテロ(BUTTERO)に変更。

70年代はあらゆる種類のブーツがブッテロで生産され、ビートルズが履いたようなモッズブーツや、タバコやマッチを入れる小さなポケット付きブーツなどで有名になった。今やトスカーナのブーツのシンボルになっている。

ブランドを支えるレザーはトスカーナ郊外のサンタ・クローチェで加工されたナチュラルタンニング・レザー。重厚で頑丈、伸縮も少なく、小さな傷などは時間の経過とともに消えていくという優れた素材を使用している。

2004年9月に、東京・神宮前に世界初の直営店となる「ブッテロ トーキョー」をオープンする。シューズだけでなく、バッグやアクセサリーといった、ブッテロの世界観をトータルで展開。

2007年、イタリア・ミラノに直営店をオープン。

2008年、3店舗目となる直営店「ブッテロ オーサカ」を大阪・梅田にオープンする。

HYKE ハイク

2013年秋冬シーズンにブランド「ハイク」をスタート。

ハイクについて

ハイク(HYKE)は日本のファッションブランド。主にウィメンズウェアを展開している。

コンセプトは、「HERITAGE AND REVOLUTION(服飾の歴史、遺産を自らの感性で独自に進化させる)」。立ち上げ当時からシーズンごとにはテーマを設けず、既存のスタイルや古着から着想を得て制作。ハイクのスタートよりキーワードとなっているのはアウトドア、ミリタリー、ワークなどだ。

ハイクの沿革・歴史

2009年春夏シーズン以降、活動を休止していた人気ブランド「green(グリーン)」のデザイナー吉原秀明(Hideaki Yoshihara)と大出由紀子(Yukiko Ode)の2人が、2013年秋冬シーズンにブランド「ハイク(HYKE)」をスタート。

2014年、マッキントッシュコラボレーションライン発表 - ジャケットやコートを展開。2015年、アディダスとタッグを組み、「アディダス オリジナルス バイ ハイク(adidas Originals by HYKE)」をスタート。

2017年春夏コレクションより、竹ヶ原敏之介のビューティフルシューズとコラボラインスタート。

2017年、吉原秀明と大出由紀子が、第35回毎日ファッション大賞を受賞。2017-18年秋冬ウィメンズコレクションより東京コレクションにデビュー。

2018年春夏コレクションよりザ・ノース・フェイスのコラボレーションをスタート。

ハイクのデザイナープロフィール

吉原秀明(Hideaki Yoshihara)は1969年、東京生まれ。日本メンズアパレルアカデミーを卒業。一方、大出由紀子(Yukiko Ode)は1969年、群馬県桐生生まれ。バンタンデザイン研究所卒業。専門学校卒業後両者はブランドでファッションの経験を積む。97年、代官山に古着屋「ボウルズ」を出店。

98年、ブランド「グリーン(green)」を発表し、東京を代表するブランドに成長。2009年春夏を最後にブランド「グリーン」を休止することを発表。理由は、大出が出産・育児に専念するため。直営店の東京・恵比寿店も09年6月末でクローズ。2013年秋冬シーズンに、新ブランド「HYKE(ハイク)」を立ち上げ、コレクション活動を再開する。

Dickies ディッキーズ

1918年、C.N.WilliamsonとE.E.Dickieがディッキーズの前身となる会社を設立。

ディッキーズについて

「ディッキーズ(Dickies)」はアメリカのワークウェアブランド。ワークウェア市場の約70%のウェアを持つ世界最大のワークウェアブランドとなっている。

1918年、C.N.WilliamsonとE.E.Dickieがディッキーズの前身となる会社を設立。
もともとは馬車や馬具を売るビジネスを展開していた。

1922年に現在の社名「Williamson-Dickie Manufacturing.Company」に変更。社名は二人の名前に由来している。ブランド名の「ディッキーズ(Dickies)」は、ディッキーの名前に由来。

ウィリアムソンとディッキーの二人は」、アメリカの労働者のためのワークウェアを作ろうと思い、ディッキーズを設立した。

40年代には第二次世界大戦にU.S.Army(アメリカ陸軍)の軍服を生産する。

50年代にはテキサスの石油労働者向けのワークウェアを生産する。この時期にディッキーズの代表作「KHAKI 874」を発売。大人気となったKHAKI 874をきっかけとして、海外に展開することになる。

リーバイス(Levi's)、リー(Lee)、ラングラー(Wrangler)といったジーンズブランドとともに、広くアメリカ中に知れ渡る人気ブランドとなる。ワークパンツが特に人気で、日本を含め世界中で愛用されている人気アイテムとなっている。

現在世界20ヶ国を拠点に展開。

dunhill ダンヒル

1880年、イギリスにて、アルフレッド・ダンヒル(Alfred Dunhill)が「ダンヒル(dunhill)」をスタート。

ダンヒルについて

ダンヒル(dunhill)はイギリスのラグジュアリーブランド。スーツから時計、バッグなどのアクセサリーまで幅広く展開している。

ダンヒルの商品の多くは「モートリティーズ」という言葉が1つのキーワードとなる。この言葉は自動車(Motoring)と権威(Authorities)を組み合わせた造語で、コンセプトとのような位置づけ。また創業当時のブティック名「モートリティーズ」だった。

代々、自動車に関連づけたイメージのアクセサリーや小物の商品を展開し、創業から間もない時期はドライバーを中心に多くの支持を集めて成長した。現在の展開はドライバー用の商品だけではなく、スーツなど幅広く取り扱うが、「モートリティーズ」のコンセプト、精神は現在に至ってもダンヒルのアイテムに影響を与えており、バッグや時計など、さまざまな商品のネーミング、ディテールに関連している。

イギリスで不屈の精神を持った男性の力強さの象徴と言われているブルドック。創業時のブティックで、交通安全のお守りとしてブルドックのマスコットを車の愛好家に販売されていたことから、100年以上過ぎた現在でもダンヒルはブルドックをモチーフとしたアイテムを展開している。

ダンヒルの沿革・歴史

創業者はアルフレッド・ダンヒル(Alfred Dunhill)。1880年代、アルフレッド・ダンヒルが父の働く、馬具用品のの製造卸会社で働き始める。93年に21歳で会社の経営を引き継ぎ、社名を自身の名を冠した「ダンヒル(dunhill)」に変更。ここからダンヒルの歴史が始まった。

自動車の普及に伴い、オープンカーでも使用できるコートやゴークル、レザー製品の小物などを取り扱い、大きな成功を収める。その後、ライターなどタバコ関連の製品の販売を始める。その後、販売された、タバコ、葉巻、パイプなどは現在に至るまで有名な製品となっている。

1920年代、タバコの規制を伴い、ブランドの中心をレザー製品に戻す。その他、30年代には万年筆、化粧品関連の製品の販売をスタートしてヒットさせた。このときには皇室ご用達のブランドにまで成長していた。

67年、タバコ系の企業(Carreras Tobacco Company)に買収さる。ダンヒルはその後、カルティエクロエIWCなど多くのファッションブランドを傘下に置くリシュモングループに買収されている。

1969年イギリス、エリザベス女王からブランド製品の輸出実績が評価されて表彰を受ける。92年、ハケット ロンドンを買収。

現在は紳士服を中心にしたメンズスーツ、ネクタイ、カフスなどを中心に、バッグ、ベルト、財布、時計、名刺入れなどの、アクセサリー関連も製品も取り扱う、トータルブランドにまで成長した。香水は、アメリカのP&Gにライセンスの提供をして、「ダンヒル」ブランドで販売されている。時計部門はトム・ボルトがクリエイティブ・ディレクターを担当。

2000年、サッカー日本代表のオフィシャルスーツの提供をスタート。以後、このスポンサーシップは10年以上に渡って続いている。

2007年秋冬コレクションは、映画俳優のジュード・ロウを起用し、紳士的なスタイリングで話題となる。 2008年、キム ジョーンズがクリエイティブディレクターに就任することが決定。以後、退任する2011年春夏コレクションまでメンズウェアとレザーアクセサリーのデザインを統括する。

2011年秋冬シーズン、ロンドン・ファッション・ウォークに参加して話題を集める。

2014-15年秋冬から2016年秋冬シーズンまで、ジョンレイ(John Ray)がダンヒルのクリエイティブ ディレクターを担当。

2016年、ダンヒルの直営ブティック、大阪・心斎橋にオープン。

2017年、ダンヒルのクリエイティブ ディレクターにマーク・ウェストンが就任。ウェストンは、バーバリーにおいてメンズウェアのシニアバイスプレジデントだった。

KITH キス

2011年、ロニー・ファイグが「キス(KITH)」設立。

 

キスについて

「キス(KITH)」は、ニューヨーク発のスニーカーセレクトショップであり、またそのオリジナルブランド。オリジナルのアパレルライン「デイトナ(DAYTONA)」も展開。フットウェアデザイナーで、ロニー・ファイグ(Ronnie Fieg)が手掛けている。

顧客には支払った物以上の価値を与えたいという理念を持つ。キスには2つの側面があり、1つはメンズ、ウィメンズ、チルドレンなどのアイテムを提案するライフスタイルブランドとしての顔、もう一つは最先端を行くショップとしての顔だ。

オリジナルのほか、アディダスアシックスNIKEオフ-ホワイト c/o ヴァージル アブローなどブランドや人気キャラクターとのコラボレーションアイテムを多数展開している。2017-18年秋冬シーズンには、モンクレールとコラボレーションした。

キスの沿革・歴史

2011年、ロニー・ファイグにより設立。

2015年、20年間構想し続け、子供の頃からの夢だったシリアルバー「キス トリーツ(KITH TREATS)」をオープン。ロニー・ファイグの両親は甘いシリアルを食べることを許さなく、毎朝用意してくれたお弁当を売って、そのお金で大好きなシリアルを買って食べていたそうだ。

2016年、ア ベイシング エイプや人気のシリアル「キャプテンクランチ コーン(Cap'n Crunch)」とコラボ。また、同年、アンダーカバーとコラボ。ザ・パーキング銀座にて発売した。

2017年、コカ・コーラとのコラボを発表。スニーカーやスウェットなどのウェアを発表。同年、東京・渋谷にロニー・ファイグが手がけるシリアルバー『キス トリーツ(KITH TREATS)』を出店。日本初上陸を果たす。

キスのデザイナープロフィール

ロニー・ファイグ(Ronnie Fieg)は、アメリカ、ニューヨーク州のクィーズ出身。

12歳の時に、ニューヨークのシューズショップ「David Z」の品出し要員の仕事をする。これを機にフットウェアの道に入る。熱心に働いたことから、セールススタッフからアシスタントマネージャーに昇格。間もなくヘッドバイヤーの地位まで上り詰めた。

ここで、アシックス、セバゴ、ティンバーランドアディダスクラークスニューバランスなど有名シューズブランドとの長きに渡り仕事をすることになる。ロニーの担当した数々のコラボレーションがヒットし、深い信頼関係を築き挙げてきた。

2011年、満を持して、ファイグは自身のショップキス(KITH)をオープンさせた。

2021年4月にデビューした、クラークス オリジナルズ(Clarks Originals)のシューズライン「8th St」ではデザインを手掛けている。

PALACE SKATEBOARDS パレス スケートボード

2009年、レヴ・タンジュ(Lev Tanju)率いるスケートチームが中心となって設立

パレス スケートボードについて

パレス スケートボーディングは、ロンドン発のスケートブランド。ロンドンのスケートカルチャーを反映した、スタイリッシュで洗練されたアイテムをリリースしている。過去には、同じくイギリス生まれのスポーツブランドである、アンブロ(Umbro)やリーボック(Reebok)とのコラボレーションプロダクトも発表している。

2015年4月、ロンドンに旗艦店をオープン

2017年5月、ニューヨークに旗艦店をオープン

2018年11月、3店舗目なる旗艦店を東京・渋谷にオープン