元ユニクロ店員のブログ

元ユニクロ店員のファッションブログです

Cody Sanderson コディ サンダーソン

1999年、コディ・サンダーソン(Cody Sanderson)がジュエリーの製作をスタート。

 

コディ サンダーソン(Cody Sanderson)はアメリカのジュエリーブランド。

インディアンジュエリーのイメージをベースにした、コンテンポラリーなデザインが特徴。インディアンの伝統的な手法を駆使し、 モダンなテイストを汲みながら、 ほぼ全ての工程をデザイナー本人が手がける。様々な種類のジュエリーを幾重にもレイヤードするスタイルが人気。

サンタフェニューメキシコのスタジオをベースに活躍しているコディの作品は著名な雑誌などにも取り上げられ、受賞歴も多数ある。

 
コディ サンダーソンの沿革・歴史
創業者でジュエリーデザイナーであるコディ・サンダーソン(Cody Sanderson)は、1964年にニューメキシコ州ギャラップで生まれ、ナバホ居留地の首都であるアリゾナ州ウインドーロックで育った。1994年、ジュエリーカンパニーでの営業販売を経験し、その頃からジュエリー製作に関心を持つようになった。

1999年、本格的にジュエリー製作を開始し、ワークショップを受講するなどして専心的にロストワックスやトゥーファキャスティングの技法を学んだ。2002年、世界的に有名な全米最大のインディアンの祭典、サンタフェ・インディアンマーケットで初めての展示会を行い、国内外のコレクターから支持を集めた。最初はメンズジュエリーから開始。

2008年、アリゾナ州ハード・ミュージアム(HEARD MUSEUM)主催のハード・インディアン・マーケット2008で、ベスト・オブ・ショー(BEST OF SHOW)を受賞。

2015年秋冬コレクションより、ウィメンズラインをスタート。女性が着けやすい細めのフォルムや美しい曲線デザインが特徴。

2017年、コディ・サンダーソン本人のディレクションでブランド初のアパレルラインを展開。

Neil Barrett ニール バレット

1999年、ニール バレットが自身の名を冠したブランドを設立。

 

ニール バレット(Neil Barrett)は1965年イギリスデヴォン州生にまれる。セントマーチンズでファッションを学ぶ。卒業後、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートで文学の修士号を取得。セントマーチンズ在籍時はジョンガリアーノの卒業コレクションを手伝ったという。

89年、卒業コレクションが評価されて、グッチのメンズウェアのシニア・デザイナーに就任。ここでは89年~93年までの5年間を働くが、これは崩壊したブランドが復活していく時期であり、重要かつ貴重な5年間を過ごす。

94年、プラダに移りメンズのデザイン・ディレクターに就任。これはニール バレット自身がメンズラインを立ち上げることを提案したことがきっかけ。98年、サムソナイト・アクティヴウェアのデザイナーに就任。

 
99年、これまで積んできた経験をもとに、自身の名を冠したブランド「ニール バレット」を設立。1998A/Wメンズコレクションからスタート。これ以降、ロンドンとコレクションを発表するイタリアを往復する生活を送る。1年後にピッティ・イマジネ・ウォモ(メンズウェアで権威ある展示会)のオープニングを飾る。1999A/Wからレディースコレクションをスタート。

ニール バレットの服の特徴はイギリス仕込みのトラッド、テーラードにスポーティな機能性をうまく加えたデザイン、素材とディテールへのこだわり。素材の研究とこだわりにはただならぬものがあり、それに完成まで何十回と調整を加えて完成する。シンプルだが、カッティング・素材・ディテールに非常にこだわる。こような部分が支持を受け、ブラッドピットなどハリウッドにも多くの顧客を抱える。

現在「NeilBarrett」、「NeilBarrett Shirts」、「NeilBarrett Indigo-Collection」を手がける。その他、三陽商会とライセンス契約を結び、「Blackbarrett by Neil Barrett(ブラックバレットバイニールバレット)を手がけたり、プーマとコラボレーションで「96hours」「PUMA by NEIL BARRETT」ラインも手がけている。

2008年、東京・骨董通りのショップをクローズし、場所を変えて青山に旗艦店をリニューアルオープンした。同年、PORTER(ポーター)とコラボレーションバッグを発表し青山店で限定発売された。その他、BMW Z4 限定エディションの発表を記念して、「クルマとファッションの融合」というコンセプトをもとにした展示企画にジル サンダーと共に参加。

2009年、ヘルノとコラボレーションでダウンジャケットを発売。ブランド名は「ニールバレット・フォー・ヘルノ(Neil Barrett for Herno)」。

2018年、初となるキッズコレクション「ニール バレット キッズ」を発表。

その他、サッカーイタリア代表のユニフォームのデザインも担当、映画「スパーダーマン2」への衣装提供など等活躍の幅が広い。現在、日本ではサン・フレールが総代理店となっており、青山と大阪に直営店がある。他にサン・フレールの運営する「ユジュニー」をはじめとしたセレクトショップでの取り扱いがある。

 

CHRISTOPHE LEMAIRE クリストフ ルメール

1990年、クリストフ ルメールが自身を冠した「クリストフ ルメール」のブランド設立。

 

ルメールはフランスのファッションブランド。

創業者のクリストフ ルメール(Christophe Lemaire)は1965年、フランスのブザンソンに生まれる。始めは文学を専攻。その後ファッションに転向。アトリエ・セーブルを卒業。

ティエリー・ミュグレーイヴ・サンローランのデザインスタジオで働いた後、1986年~1990年の間、ジャン パトゥとクリスチャン ラクロワでラクロワのアシスタントとして経験を積んだ。87年、ギャラリーラファイエット財団賞受賞。Andam賞も2度受賞している。

 
1991年、自らの名を冠した「クリストフ ルメール」のブランド設立。レディースブランドを立ち上げる。1994年、メンズコレクションを発表。

2002年春夏、スポーツブランドのラコステのアーティスティックディレクターに就任。それに伴い2000年~2006年の間自らのブランドは休止した。クリストフ ルメールは伝統を守りつつもクリストフ ルメールのカット、色彩、斬新さを活かし、ラコステというブランドを再生させた。さらにラコステでは新たなライン、"Club" や"Life!"の為のレディスのコレクションを展開。ラコステが本来持つアイデンティティーやアイコニックなイメージを復活させた。

2006年、自身のブランド「クリストフ ルメール」を再開し、パリのマレ地区にブティックをオープン。現在ルメールは、同じ世代のブランドとの差別化を図る、完全独立起業のオーナーである。クリストフ ルメールが毎シーズン提案するコレクションは、流行よりスタイルを求める人のための心地よいボリュームとベーシックでアイコニックなアイテムで構成される、タイムレスなワードローブである。彼のデザインの核となるのは日常生活の中の動き。着る人の個性を生かすための強さと静寂の完璧なバランスを追求したクリストフ ルメールのコレクションは着る人に永遠に着ていたいと思わせる完璧なボリューム感とシルエットを提案している。メンズとレディスのコレクションは同コンセプトのもとにそれぞれ再構築され、キーとなるアイテムによってそれぞれの強さが活かされている。日本でのディストリビューターはルック。

2007年自身のブランド「クリストフ ルメール」のショップを原宿(神宮前)にオープン。(過去に日本でショップを展開していたことがあるが、ラコステのクリエイティブディレクター就任にともなって自身のブランドをクローズしていた)

2010年、2011年秋冬コレクションよりエルメスのレディスウェアのアーティスティックディレクターに就任することを発表。2011年3月に行われた彼の最初のコレクションは高い評価を受けた。エルメスのディレクターをルメールは2015年春夏コレクションを最後に退任。

2015年、ブランド名を「クリストフ・ルメール(Christophe Lemaire)」から、新たに「ルメール(Lemaire)」に変更した。

同年、ユニクロとのコラボレーション「ユニクロ アンド ルメール(UNIQLO AND LEMAIRE)」を発表。2016年、ユニクロとの新ライン「Uniqlo U」スタート。

ENGINEERED GARMENTS エンジニアド ガーメンツ

1999年、ネペンテスのオリジナルブランドとして「エンジニアド ガーメンツ(ENGINEERED GARMENTS)」スタート。

 

エンジニアド ガーメンツ(ENGINEERED GARMENTS)は、セレクトショップをメイン業態とするネペンテス社から発足したニューヨークの人気ファッションブランド。

エンジニアド ガーメンツのコレクションは、主にニューヨークで企画から生産が行われ、アメトラ、ミリタリーなどの要素を取り入れた実用的なデザインが人気となっている。日本の会社があえてアメリカからデザインを発信していることからも分かるように、古き良きアメリカのデザイン、アメリカンクラッシックを強く意識している。よく見るとこだわりを感じる、他のブランドとは異なるデザインを常に意識している。

ウィメンズラインはもともと「FWK by ENGINEERED GARMENTS(エフダブリューケー・バイ・エンジニアド ガーメンツ)」として展開していたが、2019年春夏シーズンからメンズ・ウィメンズのコレクション分けをせず「エンジニアドガーメンツ(ENGINEERED GARMENTS)」として発表。ウィメンズアイテムにはブランドネームタグのカラーを変えてピースを展示。サイジングもXXSからXLの幅広いサイズレンジを設けている。

 
エンジニアド ガーメンツの沿革・歴史
デザイナーは鈴木大器。バンタンデザイン研究所ファッションデザイン科卒業。1989年、ネペンテスの企画に参加。99年、エンジニアド ガーメンツをスタート。

創業当時のデザインについて鈴木は次ののように話す。「トレンドとはかけ離れていた太いパンツを作っていました。トレンドでないだけで、ベーシック。経験値として、ベーシックなものに対する価値観を高く持っている」

2008年、アメリカのCFDAメンズ新人デザイナー賞にて最優秀賞を受賞。記念すべき第1回の受賞ブランドとなった。なお、この賞の受賞により、リーバイスとのコラボレーションが決定。

2013年、ネペンテスの新店舗「ネペンテス 博多」をオープン。エンジニアド ガーメンツ、ニードルズ、サウス2 ウエスト8をはじめとし、世界中からウェアやフットウェアをセレクト。

2014年、エンジニアド ガーメンツがジャケットやエプロンなど一風堂のユニフォームを制作。2016年、アメリカ製にこだわったものづくりを行うフットウエアブランド「ニューイングランドアウターウェアー」のシューズ、キャンプモカシンをリリース。

2017年、ドクターマーチンの人気モデル「1461」をベースにしたコラボシューズを発表。英国製4ホールを左右非対称のデザインにした。

ドクターマーチンとは定期的に、その他、VANS、コンバースタイメックスなど幅広いブランドとコラボレーションを発表している。エンジニアド ガーメンツのコレクションは、現在、日本を中心に、北米、ヨーロッパで取り扱いがある。

Marc Jacobs マーク・ジェイコブス

マーク・ジェイコブスMarc Jacobs、1963年4月9日 - )は、アメリカ合衆国・ニューヨーク生まれのファッションデザイナー、及び彼の創立したファッションブランドである。会社としてのマーク・ジェイコブスは1986年に創業した。

 

1963年、ニューヨークでユダヤアメリカ人の家系に生まれる。1981年に同地のハイスクール・オブ・アート・アンド・デザインを卒業。ニュージャージー州ティーネックに母と暮らし、ニューヨークのパーソンズ・スクール・オブ・デザインに通った。在学中にペリー・エリスからデザイン賞を受賞。卒業後、ペリー・エリス(本人の死後だったが)でグランジ系のデザインを開始するなどチーフ・デザイナーとして活躍した。

1986年に、米国オンワード樫山の支援で自らの会社を立ち上げ、「マーク・ジェイコブス」ブランドで初のコレクションを開催。

2008年2月、スウェーデンのデザイナー、ゴスタ・オーロフソンが1950年代にデザインしたスカーフと全く同じデザインのスカーフを発表した[1]と盗作疑惑が持ち上がり、オーロフソンの子息への賠償により決着した[2]。

2001年から系列のセカンドライン「マーク・バイ・マーク・ジェイコブス」をスタートし、メインブランドとの2本柱でブランドを展開してきたが、セカンドラインは2015年秋冬コレクションをもって廃止し、メインブランドに一本化する。

自社以外では、1997年からルイ・ヴィトンの服飾部門のデザイナーを務めており、2014年春夏コレクションまでウィメンズ商品をマーク単独で、メンズ商品をキム・ジョーンズと共同で手掛けた[3][4]。続く2014年秋冬コレクション以降、ルイ・ヴィトンにおける後任には、ニコラ・ジェスキエールが選任された。

Christopher Bailey クリストファー・ベイリー

クリストファー・ベイリー(Christopher Bailey、MBE、1971年 - )は、イギリス出身のファッションデザイナー。2018年春まで、バーバリーのCEO と最高クリエイティブ・ディレクターを務めた[1]。現在のモードシーンにおいて、最も影響力のあるデザイナーの1人である。

 

ウェスト・ヨークシャーハリファックス出身。父親は大工、母親はマークス・アンド・スペンサーでウィンドウの飾りつけを担当していた。姉と二人兄弟。

1990年、ウェストミンスター大学ファッションデザイン学科卒業。その後、イギリスの名門ロイヤル・カレッジ・オブ・アートへ進学。1994年にロイヤル・カレッジ・オブ・アートでファッションの修士号を取得し、卒業後ニューヨークへ渡りダナ・キャランのアトリエで働き始める。

1996年にトム・フォード時代のグッチに移り、レディース部門のシニアデザイナーに抜擢。2001年からは、前任者ロベルト・メニケッティから引き継ぐ形で、バーバリーのハイエンド・ブランドである「バーバリー・プローサム」のメンズ・レディース両方のクリエイティブ・ディレクターを務めている。2005年には、イギリスにおいて最優秀デザイナー(British Fashion Designer of the Year)を受賞。2009年からはチーフ・クリエイティブ・オフィサーの肩書を得、同社全体を横断的に統括している。2018年3月に役職を離れ、12月に退社予定[1]。

Hedi Slimane エディ・スリマン

エディ・スリマンHedi Slimane, 1968年7月5日[1] - )は、フランス出身のファッションデザイナー。20世紀終盤頃から21世紀初頭にかけてのファッションブランド「イヴ・サン=ローラン」および「ディオール・オム」のクリエイティブディレクターとしての活動が最も広く知られている[2]。

 

「少年性」と「ロック」をテーマにした繊細な作品群は熱狂的なファンを多く持つ。また、最近では、フォトグラファーとして、雑誌、ビッグメゾンの広告などの仕事もこなしている。「VOGUE HOMMES JAPAN」創刊号にて、「デヴィッド・ボウイポール・ウェラーザ・クラッシュのポール・シムノンからかなり影響を受けた」と語っている。いずれもイギリスのロック・ミュージシャンである。また、ザ・リバティーンズピート・ドハーティに熱狂し、自身が撮影した写真集まで出している。

 

フランス・パリにおいて、チュニジア系の父親とイタリア系の母親との間に生まれた[3]。

1988年 - パリ政治学院を卒業後、エコール・ド・ルーブルルーブル美術学校)で美術と歴史を学ぶ。
1990年~1997年 - ジョゼ・レヴィのメゾンやジャン・ジャック・ピカールの元で働く。
1997年 - イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ・オムのディレクターに就任。
2000年 - クリスチャン・ディオールに招かれ、ディオール・オムのディレクターに就任。
2007年 - 2007-2008 A/Wコレクションを最後にディオール・オムのクリエイティブ・ディレクターを退任。後任にはスリマンの元アシスタント、クリス・ヴァン・アッシュが就任。
2012年 - 3月7日、イヴ・サンローランのクリエイティブ・ディレクター就任を発表。今回は、メンズ・ウィメンズの全コレクションを統括する。ブランド名を「サン・ローラン・パリ」(サン・ローラン)とし、ネームロゴも一新した。
2016年 - 4月1日、サン・ローラン・パリのデザイナーを退任。
2019年春夏より、セリーヌのチーフデザイナーに就任。