元ユニクロ店員のブログ

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Prada プラダ

プラダ (Prada S.p.A.) は、イタリアを代表する高級ファッションブランドを展開するアパレル企業である。ミラノに本社を置く。

 

プラダ(レディース・メンズ)のほか、ミュウミュウ(レディース)を展開している。いずれもデザイナーは創業家3代目のミウッチャ・プラダ

自社ブランド以外に、イギリスの靴メーカー チャーチ、CAR SHOEを傘下におく。かつてはジル・サンダーヘルムート・ラングも傘下にあった。

 

1913年、創立者のマリオ・プラダ (Mario Prada) とフラテッリ・プラダ(Fratelli Prada)兄弟が、ミラノの中心にあるガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレII世に、プラダ1号店として皮革製品店 Fratelli Pradaプラダ兄弟)を開業する[1]。世界から珍しい素材や質の高い皮を集めて製品を作っていた。それが評判となり、イタリア王室の御用達となった。

1958年に創業者であるマリオ・プラダが死去。マリオの娘がビジネスを引き継いだものの、ブランドは凋落し、長く低迷期が続いた。

その後1978年に、マリオの孫娘であるミウッチャ・プラダ (Miuccia Prada) がオーナー兼デザイナーに就任。ミウッチャ・プラダは1950年、ミラノに生まれ、ミラノ大学では社会学政治学科を専攻し、博士号。「日常を贅沢に飾る」をコンセプトとし、現代的で革新的な素材使いやデザインの斬新さと、伝統や歴史等の過去とのみごとな調和で世界的なブームになる。彼女ほど女性の内面を表現できるデザイナーはいないと評された。マリオが旅行用カバンに用いていた工業用防水ナイロン素材「ポコノ」製のバッグが開発され話題となり、次々と新しいバッグやリュックを発表し、日本やアメリカなどで人気となる。

アパレル分野に進出したのは比較的最近で、1985年に靴、1989年に婦人服、1994年に紳士服のコレクションをスタートした。1993年には「ミュウミュウ」(MIU MIU)を設立。ブランド名のMIU MIUは、ミウッチャ・プラダの幼少時代からのニックネームが語源。

1990年代には、新商品の展開を進めつつ、美術プロジェクト「プラダ財団」設立、その他多数の同業他社の買収など、事業の多角化に乗り出した。2000年代以降は、財政難から1990年代に買収したブランドの多くを手放しつつも、携帯電話のデザイン、世界各国の伝統工芸品を素材として起用した「メード・イン・〜」シリーズなど、商品展開の幅を広げ、日本を含むアジア圏への進出を積極的に進めている。

2011年には香港市場への新規株式公開(IPO)を決定。これまでにもプラダグループは、ミラノ証券取引所などへ何度か株式公開を計画したが、世界情勢の悪化などを理由に上場を先延ばし。2010年8月には中国企業が買収目的で株式を買い増したが買収を断念。2011年1月22日に北京で2011年春夏コレクションのファッションショーを開催し、グループが香港市場で株式公開を検討していることが、複数の海外メディアに報じられた。27日に開催されたグループの取締役会において、香港株式市場に新規株式公開に向けた計画が議決。株式公開のコーディネーターには、インテーザ・サンパウロ、ユニットバンカイミ、ユニクレジット、ゴールドマン・サックスが指名される。6月24日上場し取引を開始した。これを機に、中国をはじめアジア市場におけるビジネス拡大を狙うとみられている。

洗練されたライン、上質かつ的確な素材選び、徹底したミニマリズムからスポーツ、ミックスまで最新鋭の技術を擁する。キャンバス地などの素材も使用するが、やはりナイロン素材が定番であり、人気である。

なお、現在のプラダ・グループのCEOはミウッチャ・プラダの夫であるパトリッツィオ・ベルテッリである。

 

年表
1940年代以前
1913年 - マリオ・プラダにより、ミラノにカバン工房「プラダ兄弟」として創業。
1950年代以降
1958年 - マリオ・プラダ死去。娘が後を継ぐが、その後しばらく低迷。
1978年 - ミウッチャ・プラダがデザイナーに就任。
1980年代以降
1982年 - 靴の展開をスタート。
1989年 - 婦人服の展開をスタート。ミラノコレクションで発表。
1993年ミュウミュウ(MIU MIU)の展開をスタート。コレクションの発表は2003年までミラノ、2004年以降パリで行っている。2007年までメンズコレクションも展開した。
現代アートやカルチャーにおいて最も急進的な知的チャレンジ」を効果的に発信することを目的としたPrada Milano Arteを設立。なお、2年後の95年にFondazione Pradaプラダ財団)と改称された。
1994年 - 紳士服の展開をスタート。ミラノメンズコレクションで発表。
1996年逆三角形のロゴプレートを付けた防水布「ポコノ」製品が各種発表され、事業規模を拡大。
グッチ株を買収。ただし、1999年までにLVMHに譲渡。
1999年ヘルムート・ラングHELMUT LANG)、ジル・サンダーJIL SANDER)、イギリスの靴メーカー・チャーチ(Church's)と他社を次々に買収。「LVP」というLVMHとの合弁会社を設立し、フェンディ(FENDI)を傘下に収める等して友好関係を築いた。なお、フェンディは2000年にプラダ保有株式をLVMHに売却してLVMHの全面子会社とし、ヘルムート・ラングジル・サンダーは2006年にそれぞれ売却した。
オリバー・ピープルズ(OLIVER PEOPLES)がプラダアイウェアのファーストコレクションを手掛ける。
2000年代以降
2003年3月29日、東京・銀座中央通りのセフォラ跡地(6丁目)に銀座店(初代)をオープン。
6月7日、東京・南青山にヘルツォーク&ド・ムーロン設計の国内最大の旗艦店「エピセンター・ストア」をオープン。ショップの裏手には建築家の名前等が記されている。
2006年 - 男性向け香水「アンバー・プール・オム」、プラダ・スポーツのジーンズラインを発表。
2007年 - 日本のアニメーション映画「EX MACHINA -エクスマキナ-」に衣装デザインを提供。プラダが映画にデザインを提供するのは初めて。
2008年LG電子(LG Electronics Inc.)とコラボレートした携帯電話「プラダ・フォン(PRADA Phone)」を発表。その後数年に一度のペースで新機種を登場させている。
サンフランシスコに旗艦店をオープン。総売場面積は約430m2。
2009年エディ・スリマンHedi SLIMANE)がプラダメンズウェアラインのキャンペーンフォトを撮影。
4月2日から開かれたソウルモーターショーに現代自動車プラダと共同でデザインした「ジェネシスプラダ」を出展。現代自動車南陽研究所とミラノのプラダデザインセンターが2008年11月から共同で作業し、従来の「ジェネシス」の外装と内装デザインを新たに構成する。
7月、パリ8区ボーボ広場92番地に5ヶ月限定ショップをオープン。総売場面積は約570m2。デザインはロベルト・バチョッキ。
2010年日本限定アイテムとしてプリントコレクションバッグを発表。
2010年3月19日、プラダ男女差別事件が東京地方裁判所に提訴される。
2010年5月15日、プラダ店舗の元女性管理職の社員達も女性の権利の侵害を主張してプラダに対する民事訴訟を東京地方裁判所へ提起
2010年7月、プラダは、女性の権利を主張した事によってブランドのイメージとロゴが傷ついたと被害者に対して反訴。
9月18日、名古屋駅前の名古屋ビルデイングにプラダ名古屋店オープン。総売場面積は約920m2。
2011年6月24日、香港証券取引所に新規株式公開(IPO)。
11月、銀座1丁目のトレシャス銀座にミュウミュウ銀座店オープン。
2012年1月、パリ オートクチュール・コレクション期間中にパリのイエナ宮にて、24時間だけの展覧会である「24時間ミュージアム(24h MUSEUM)」を開催。
5月10日から8月19日まで、アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館で「スキャパレリとプラダ、不可能な対話」展を開催。エルザ・スキャパレリ(Elsa Schiaparelli)とプラダアーカイブを集め、それぞれを対比しながら紹介。
ロンドンオリンピックに出場するイタリアセーリングチームのユニフォームをデザイン。
イタリア・ベネチアのカ・コルネール・デッラ・レジーナ(Ca Corner della Regina)でプラダ財団が展覧会「ザ・スモール・ユートピア. アース・マルティプリケイタ(The Small Utopia. Ars Multiplicata)」を開催。1901年から1975年のアート作品を展示した。
LG電子とのコラボレーションにより展開されている「PRADA PHONE」シリーズにスマートフォンが登場。キャリアはNTT docomo。専用ケースも発売された。
2013年創業100周年。
2013年4月30日、国際連合人権高等弁務官事務所はプラダ男女差別事件のカウンターレポートを公開。
2013年5月17日、国連経済社会理事会が、プラダ男女差別事件に基づき日本政府に対して、緊急に職場でのセクハラを違法にする新たな規制の導入を勧告した。
春夏コレクションでは「ジャポニズム」をテーマとし、前掛け、菊の紋章など、和服をイメージしたビジュアルを提案した。
映画「ザ・グレート・ギャツビー」の衣装協力。プラダからはプラダミュウミュウの過去20年間のコレクションルックをもとにした34着のカクテルドレスイブニングドレスが提供された。提供された衣装は、6月14日から6月30日まで、「CATHERINE MARTIN & MIUCCIA PRADA DRESS GATSBY」と題して青山店で展示された。
7月13日、大阪・心斎橋筋に大阪初の旗艦店である「プラダ大阪心斎橋店」をオープン。総売場面積は約1,100m2。内装設計はロベルト・バチョッキが手掛けた。
神戸で2店舗目となる旗艦店を神戸旧居留地にオープン。2フロアで、総売場面積は約1,000m2。
銀座エリアの再開発計画に関連し、2003年にオープンした初代銀座店が6月30日をもって閉店。10月12日、5丁目に場所を移しリニューアルオープン。総売場面積は約991m2。設計はロベルト・バチョッキ。大阪心斎橋、神戸旧居留地、銀座の各新店舗のオープンの際には、記念コレクションとして各店舗ごとに異なる限定色のバッグを発売した。
創業100周年記念プロジェクトとして、本店が入居する歴史的建造物ガレリアを含むショップの改造プロジェクトをミラノ市から委託を受ける。7月20日、メンズコレクションの新しいショップがオープン。今後は、中2階にレストラン、その上階にはプラダ財団が運営するアートスペースを設け、グループ本部を設置、更にはミラノ市の新たな文化発信の拠点とする。
ドバイのシェイク・マクトゥームが、世界トップクラスのファッションデザインセンターを構築するために、ドバイのデザイン地区にプラダなど紹介したいと発表。 2015年1月に完成予定。
12月13日、チャーチ表参道店オープン。同店舗は、商品の主要ディーラーである渡辺産業ではなく、プラダ・グループの事業として展開されている。
2015年3月28日、ミュウミュウ青山店を移転・リニューアルオープン。直近に2003年より継続して営業しているプラダ青山店と同じヘルツォーク&ド・ムーロンが設計している。