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Naomi Elaine Campbell ナオミ・キャンベル

ナオミ・キャンベル(Naomi Elaine Campbell、1970年5月22日 - )[2] はイギリスの女性ファッションモデルである。ロンドンでスカウトされ、1980年代からモデルとしての活動を始めた。

 

国際的なファッション雑誌の表紙やミラノやパリなどのファッションショーに登場した。自身の名前を冠にした香水や一連の法律問題でも知られている。ナオミという名前は、旧約聖書・ルツ記に登場する女性の名(Naomi・ナオミあるいはネイオミ)に由来し、ヘブライ人や欧米人に見られる名前である。

 

キャンベルはロンドンのストリーサムで生まれた。彼女の母ヴァレリー・キャンベル(旧姓:モリス)はジャマイカ出身でアフリカ系アメリカ人の元バレエダンサーである。母親の話によると父親は当時18歳のヴァレリーと生後2ヶ月のキャンベルを残して去った。出生証明書にも父親の名前は記載されておらず、母親もキャンベルも父親のアイデンティティを明らかにはしてこなかったが[3]、情報筋が父親は客家系の中国系ジャマイカ人であると明かした[3][4]。

母親がダンス一座「ファンタスティカ」のツアーでヨーロッパにいる間は乳母の下で育った。10歳でイタリア・コンティ・アカデミー・ステージ学校に入り、バレエを学んだ[5]。ダンレイヴァン学校、総合中等学校に通った。

 

彼女の最初のメディア出演は7歳の時である。それは1978年2月のボブ・マーリーの曲『イズ・ディス・ラブ?』のミュージックビデオで生徒役での出演であった。1982年にはカルチャー・クラブの曲『アイル・タンブル・4・ヤ! 〜君のためなら』のビデオにタップダンサーとして出演している。

15歳のある日、コベントガーデンでウィンドウショッピングをしていたときにフォード・モデルの社長ベス・ボルトにスカウトされた。キャンベルはすぐにフルタイムのモデルとして働くことを選択し、エリート・モデル・マネジメントと契約した。ショーモデルとしてキャリアを始めて、すぐにリージーンズやオリンパス社を含む複数の広告に起用された。それらは彼女にアメリカ市場での仕事をもたらした。1986年4月、雑誌『エル』の表紙を飾った。

1988年8月、黒人モデルとして初めてパリ版『ヴォーグ』の表紙を飾った。これは、同誌が黒人モデルの起用を拒絶したことに憤慨した、友人であったイヴ・サン=ローランが、自身のブランドの広告を誌面から全てはずすと脅迫したことで実現したものである。パリ版に加えて、ダニエル・ルーナの次に黒人モデルとしてイギリス版の表紙を飾り(雑誌で働くのを辞退したヴェロニカ・ウェッブの替わりだった)、日本版、中国版『ヴォーグ』や『タイム』の表紙も飾った。雑誌『プレイボーイ』でヌードを撮影したりマドンナの1992年の写真集『SEX』でラッパービッグ・ダディ・ケインと一緒にポーズをとった。キャンベルはこれまでに100以上の雑誌の表紙を飾った。

彼女はジョージ・マイケルのミュージックビデオ『フリーダム!'90』で仲間のスーパーモデル、リンダ・エヴァンジェリスタ、クリスティー・ターリントン、シンディ・クロフォード、タチアナ・パティッツと一緒に主演を務めた。1992年にはマドンナの『エロティカ』のミュージックビデオに出演した。それは写真集『SEX』の撮影風景の場面を特徴とする。その他にマイケル・ジャクソン、ネリー、ジャギド・エッジ、ジェイ・Z、ショーン・コムズ、ノトーリアス・B.I.G.メイシー・グレイ、プリンス、アッシャーのビデオにも出演している。

彼女のキャリアの絶頂期は1990年代初期であった。そのとき彼女はシンディ・クロフォードクラウディア・シファー、クリスティー・ターリントン、リンダ・エヴァンジェリスタケイト・モスと並んで「ビッグシックス」、ターリントンとエヴァンジェリスタと並んで「三位一体」と称された。

2008年に受けたインタビューで「モデルは昇進しなくちゃいけない。スーパーモデルという言葉はちょっと軽々しく使われている感じがするわ。ケイト・モスは明らかにスーパーモデルよ。だけどジゼル・ブンチェン以降はスーパーモデルなんて現れていないと思う」と述べた[6]。2009年の雑誌『グラマー』のインタビューにおいてキャンベルは「あのね、アメリカの大統領は黒人かも知れない。しかし、黒人の女性として私はまだこのビジネスの例外である。私は常に等しく扱われることが難しいと感じる」と述べた。これはキャンベルがファッション産業を「人種差別主義者」とふきかえたとして注目を集めた[7]。

キャンベルはニューヨーク市のIMGモデル、ロンドンのストーム・モデル・マネージメント、パリのマリリン・エージェンシー、ミラノのマネージメント・グループとそれぞれ契約している[8]。