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TAG Heuer タグ・ホイヤー

タグ・ホイヤーTAG Heuer)は、スイスの高級時計メーカーである。

 

ドイツ系スイス人で、ベルン州ブリュック(ドイツ語版)出身のエドウアルト・ホイヤー(ドイツ語版)(1840年 - 1892年)が1860年に設立した。設立当初からストップウオッチや、クロノグラフといったスポーツウオッチの開発に力を注いでおり、クロノグラフの歴史に貢献している。近年では、トゥールビヨンや磁気を利用した新たなムーブメントの開発を行っている。

1985年までの社名はホイヤーであった。クオーツショックで資金難だったところをマンスール・オジェ率いるTAGグループ(現 Techniques d'Avant Garde )からの資金援助を受け、現在の社名に変更。その後1999年9月にLVMHが同社の株式の50.1%を取得し、現在はLVMH傘下となっている。

2003年まではF1の公式計時を担当していたが、同年限りでF1の公式計時から撤退する一方で、2004年よりインディカー・シリーズの公式計時を担当している。

 

1840年2月15日 - ビール近郊のブラグで[1]創業者のエドウアルト・ホイヤー(Edouar Heuer )が産まれた[2]。
1856年 - 創業者のエドウアルト・ホイヤーがサンティミエの時計メーカーLs.Kierneur&Filsに入社[3]。
1859年 - エドウアルト・ホイヤーがスザンナ・マグダレナ・シェルツと結婚した[4]。
1860年 - エドウアルト・ホイヤーによりスイスのサンティミエでエドウアルト・ホイヤー・ウォッチメーカーズ設立[5]。
1861年 - 創業者の長女ルイズ(ルイーゼ)・ホイヤー(Louise Heuer )が産まれた[6]。
1869年 - ビールに移転した[7]。
1871年 - 創業者の長男シャルル(カール)・ホイヤー(Charles Heuer )が産まれた[8]。
1876年 - ロンドンに支社を設立した。
1878年 - ルイズ・ホイヤーが入社した[9]。時計メーカー向けの宝飾加工を行なっていたフリッツ・ラムベレが事業に参加し、ホイヤー・ラムベレ&カンパニー・ビエンヌ&ロンドンを設立[10]。
1882年 - クロノグラフで特許取得[11]。懐中時計のクロノグラフの製造を開始した[12]。ロンドン支店閉鎖[13]。
1885年 - フリッツ・ラムベレが独立し、エド・ホイヤーに商号変更した[14]。
1892年 - エドウアルト・ホイヤー死去[15]。
1896年 - シャルル・ホイヤーの長男シャルル・ホイヤーJr.が産まれた[16]。
1901年 - シャルル・ホイヤーの次男ウベール(フーベルト)・B・ホイヤー(Hubert B. Heuer )が産まれた[17]。
1916年 - シャルル・ホイヤーJr.が入社。世界初の100分の1秒まで計測可能なストップウオッチ『マイクログラフ』を開発。
1920年 - アントワープオリンピックの公式計時を初めて担当。高級ブランドだったユール・ヤーゲンセンを購入した。
1923年 - シャルル・ホイヤーの次男ウベール・B・ホイヤーが入社[18]。シャルル・ホイヤー死去[19]。
1929年 - ホイヤーのロゴが作成された[20]。
1932年 - ジャック・W. ホイヤーが産まれた[21]。
1953年 - 日本で商標登録した[22]。
1964年 - クロノグラフの製造会社レオニダスと合併、正式な社名はホイヤー=レオニダスとなる[23]。
1967年 - 自動巻クロノグラフ、キャリバー11の開発を始めた[24]。
1969年 - 角型時計としては世界初の防水クロノグラフモナコ』、世界初の自動巻きクロノグラフ『クロノマチック』などを発表[25]。
1971年 - スクーデリア・フェラーリのF1公式計時を初めて担当、当時のドライバーはクレイ・レガツォーニとジョー・シフェール[26]。スティーブ・マックイーンが映画栄光のル・マン中で『モナコ』を着用し、オーバーオールにホイヤーのロゴをつけて出演した[27]。スイススキー連盟と契約を締結、スイススキーチームがホイヤーのクロノグラフを使用するようになった[28]。
1974年 - シャルル・ホイヤーJr.死去[29]。
1982年 - ピアジェの傘下に入る。4代目ジャック・W. ホイヤーが社長から退任し、創業者一族による経営は途絶えた。ジャック・W. ホイヤーはその後コンピューター関係の仕事に携わった。
1985年 - ピアジェの傘下から離れ、TAGグループからの資金援助を受けて『ホイヤー』から『タグ・ホイヤー』に社名を変更。
1999年 - LVMHの傘下に入る。
2001年 - CEOジャン・クリストフ・ババンの懇請で、ジャック・ホイヤーが名誉会長に就任。
2004年 - インディカー・シリーズの公式計時を初めて担当。
2013年 - ジャン・クリストフ・ババンがブルガリCEOに就任し、代わってステファン・リンダーがCEOに就任[30]。ジャック・ホイヤーが11月17日(81歳の誕生日の前日)を以て名誉会長を退任[31]。
2016年 - イングランド・プレミアリーグの公式タイムキーパーを担当[32]、同リーグのマンチェスター・ユナイテッドFCと公式タイムキーパー並びにグローバルパートナー契約を結ぶ[33]。Jリーグとのトップパートナー契約も締結し、公式タイムキーパーとなった