元ユニクロ店員のブログ

元ユニクロ店員のファッションブログです

UNUSED アンユーズド

2004年、アンユーズド創立。

 

「アンユーズド(UNUSED)」は日本のファッションブランド。メンズ、ウィメンズウェアともに展開。

2004年にブランドを創立。デザイナー名は非公表。

コンセプトは「観念的な枠を取り去り、解体し、存在の新たな形の追及提案」。先入観をもたず過去の物に新たな観点で改良を加え、喜びを与える機能美と着心地を追求している。日常に溶け込み、自身のスタイルを創る物として提案している。

 
2016年春夏コレクションより、メンズ・ウィメンズともにデザインを統一。アイテムは00から4まで幅広いサイズ展開のため、ユニセックスで着用できる。

Takahiro Miyashita 宮下貴裕

宮下貴裕(みやした たかひろ、英:Takahiro Miyashita、1973年 - )は日本・東京生まれのファッションデザイナー。

1973年に生まれ服飾学校に通わず、セレクトショップにて働きながらバイイング・服作りを学んだ後、独立しデザイナーとなる。

1996年11月、有限会社KOOKSを設立、「NUMBER(N)INE」を発表。

2009年2月20日、2009-2010 A/W を最後に、「NUMBER(N)INE」脱退・解散を発表。

2009年12月より、リーバイス社にて、デザイナーの倉石一樹と共作で作品を発表。

2010年5月18日、株式会社ソロイストを創設、代表取締役に就任、新ブランド「TAKAHIROMIYASHITA The SoloIst.」を発表。

 

当初は表にはあまり出てこず、雑誌等でも顔写真の掲載は極めて少なかったが、近年ではインタビューや顔出し等、積極的に受ける様になった。
NIRVANABEATLES,GUNS N' ROSES,BECK等の音楽を好み、それらがデザインに反映されている。
ロックバンド「The High Streets」のヴォーカルも務めている。
 

1973年、東京都に生まれる。服作りは独学で学ぶ。
1996年、企画・プレスを務めたセレクトショップ「ネペンテス(NEPENTHES)」から独立。
 
 
1997年、表参道にショップをオープン。その後、数箇所移転した後、現在は東京・恵比寿の住宅街の中心に本店を設置。
2000年、2000-2001 A/W より東京コレクションに参加。
2002年、2002-2003 A/W 終了後、体調不良により1年間コレクションを沈黙。
2003年、2003 S/S - A/W を通したコレクションで1シーズンのブランクを経て復帰。
 
2004年、2004-2005 A/W よりパリコレクションに参加。
2006年、新宿伊勢丹のメンズ館内に店舗を構える。
2007年、2007 S/Sよりデニム・カットソーを中心としたベーシックライン「n(n)」 を開始。
 
2008年、2月、大阪・梅田の阪急百貨店メンズ館にて、スタイリスト・野口強プロデュースによるショップ「クアドロフェニア」に出展。
 
2009年、2月20日、2009-2010 A/W を最後に、ブランドを脱退・解散を発表。
 
同年、12月5日、リーバイス社の企画である「LEVI'S VINTAGE CLOTHING Tokyo Creators」に参加し、デザイナーの倉石一樹との共同でリーバイス501XXをカスタマイズした作品を2本発表する。これはナンバーナイン脱退以降、宮下久々の作品発表となった。
2010年、2月6日、webマガジンhoneyee.com内にてブログをスタートさせる。(現在も継続中)
同年、4月29日、前年からの流れを組む形で倉石と再タッグを組み、リーバイス社より、「左利き仕様」の限定ジーン「Levi's® Lefty Jean by Takahiro Kuraishi」を発表。このプロジェクトは、リーバイスジーンズやジャケット等の特徴である右寄りのアイコン位置を全て左側に寄せ、「Lefty(左利き)」仕様にカスタマイズする企画である。
同年、5月18日、株式会社ソロイストを創設し代表取締役に就任、新ブランド「TAKAHIROMIYASHITA The SoloIst.」を立ち上げを発表。
 
2011年、1月9日、東京・青山に初の直営店となる「s.0109」をオープンした。

同年、9月9日、東京・南青山にセレクトショップ「grocerystore.(グローサリ―ストア.)」をオープン。ちなみに「grocerystore.」は食料雑貨店という意味。
 
 

 

 

TAKAHIROMIYASHITATheSoloist タカヒロミヤシタザソロイスト

2010年、元ナンバーナインのデザイナー宮下貴裕がブランド設立。

 

2010年7月、宮下貴裕が「タカヒロミヤシタザソロイスト.(TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.)」1stコレクションとなるウィンターコレクションを展示会形式で発表。

ブランド名にある“TheSoloIst.”とは、洋服に携わる各個人が“独奏家”として孤高の精神を持ち合わせて欲しいというデザイナー宮下貴裕の願いであり、また再び洋服の世界へ戻ってきたという自分への不退転の決意の表れ。

同年8月、ニットとルームウェアの2ndコレクションを発表。

 
同年12月、3rdコレクションであるSpringコレクションを発表。

2011年9月9日、南青山に初のストア「grocerystore.」をオープンする。タカヒロミヤシタザソロイスト.以外にも、Levi's Left handed Jean by Takahiro Kuraishiや一点物の古着のリメイクアイテム、デザイナー宮下自身がセレクトした洋服、アクセサリー、シューズなどを取り扱う。

2018年春夏コレクションを東京でショー形式で発表。

2018年1月、アンダーカバーとタカヒロミヤシタザソロイスト.が2018-19秋冬メンズウェアコレクションを合同ショーで発表する。

WOO YOUNG MI ウー ヨン ミ

88年からソウルでウー ヨン ミが活動を開始。

 

ウー ヨン ミは、韓国人デザイナーであるウー ヨン ミ(Woo Young Mi)が手掛けるメンズウェアブランド。

1959年、ソウルに生まれる。88年からソウルで初めてのブランド「Solid Homme」立ち上げ活動を開始。2002年に、2003S/Sシーズンのパリのメンズコレクションに参加。このとき自身の名を冠したブランド「ウー ヨン ミ(Woo Young Mi)」としての活動をスタート。

2007年からパリの「Le Bon Marche(ボン・マルシェ)」にて展開された他、パリのパリ・マレ地区に路面店を出展している。日本でも有名百貨店、セレクトショップにて取り扱われ人気を得た。

 
2009年、バスストップが独占輸入権を獲得。

モードとスポーツを融合させたシンプルかつクリーンなカットを用いたデザインを特徴としている。アーキテクチャーとファッション(洋服)との類似性を見出し、また、アーキテクチャーからインスピレーションを受けている。

visvim ビズビム

2001年、中村ヒロキが「ビズビム(visvim)」をスタート。

 

2001年にブランド、ビズビム(visvim)をスタート。フットウェアを中心にしたコレクションは海外からも高い評価を得る。

その後、アクセサリー、フレグランスまで扱うトータルブランドへと拡大。

伝統的な手法やデザインを取り入れ、本質的なプロダクト作りを目指す。

 
2006年、東京・表参道にF.I.L.を開き、現在では国内に直営店8店舗を展開。‘13年秋冬からは新たなレディースラインWMVをスタート。

2014年、フラッグシップショップ“visvim”をオープン。ショップ内にはカフェ"little cloud coffee”が併設されている。

White Mountaineering ホワイトマウンテニアリング

2006年秋冬コレクションよりホワイトマウンテニアリング(White Mountaineering)をスタート。

 

ホワイトマウンテニアリング(White Mountaineering)は日本のファッションブランド。

ブランドコンセプトは、〝服を着るフィールドは全てアウトドア〟。デザイン、実用性、技術の3つの要素を一つの形にし市場には屈しない姿勢でのものづくりを掲げている。

2009年春夏シーズンよりBLACKをコンセプトにしたBLKをスタート。同年 8月「White Mountaineering」代官山にてショップをオープン。2010年春夏シーズンにて初のランウェイ形式でコレクションを発表。

 
2011シーズンよりウィメンズブランドの「porlar. White Mountaineering」をスタート。2011年、海外に向けた展開を目指し、ウィメンズのブランド名を「poral(ポーラル)」と変更する。

2013年春夏コレクションをもって一旦ポーラル(poral.)を終了。それに代わり、ホワイト マウンテニアリング(White Mountaineering)として、ウィメンズコレクションが、2014年春夏コレクションより新しくスタートした。

2013年、モンクレールとのコラボレーションで「MONCLER W」を発表。

2015年、アウトドアブランド「バブアー」から、ホワイトマウンテニアリングの相澤陽介をデザイナーに迎えた新ライン「ビーコン ヘリテージ レンジ バイ ホワイト マウンテニアリング(Beacon Heritage Range by White Mountaineering)」が誕生。

2016年、アディダスとのコラボレーション「adidas Originals by White Mountaineering」を発表。同年UGG(アグ)とのコラボシューズも発表。

2018年、アウトドアやギアを再考察したこれまでにないアイテムを提案する新レーベル「W.M.B.C.」をスタート。
ホワイトマウンテニアリングのデザイナープロフィール
デザイナーは相澤陽介(YOSUKE AIZAWA)。1977年10月25日生まれ。1999年、多摩美術大学の染織デザイン学科を卒業。コム デ ギャルソンに入社。2006年秋冬シーズンコレクションよりブランド「ホワイトマウンテニアリング」をスタート。

2018年春夏コレクションよりハンティング​ ワールドのクリエイティブチームに参加。ブランドの、本物と洗練をベースに、品質、機能的な素材、そしてデザインをさらに牽引する。

2019年シーズンより、北海道コンサドーレ札幌のクリエイティブディレクターに就任。シーズンポスターをはじめ、アパレル関連のクラブオフィシャルグッズのデザインなどを手掛ける。

Reebok リーボック

リーボック(英語:Reebok)は、イギリスのスポーツ用品ブランド。1900年創業のJ・W・フォスター社に端を発し、「THE PUMP TECHNOLOGY」「INSTA PUMP SYSTEM」や衝撃吸収の「DMX」「3DMX」の開発により「機能性の高い製品開発に長けた企業」という認知を得る。また、1980年代のフィットネスブームのきっかけとなったエアロビクスシューズ「フリースタイル」などのヒットによって、最盛期には北米の大手スポーツ用品ブランドの中で1、2位を争うまでの規模を誇った。現在はアディダス・グループ傘下としてブランド展開している。

 

グローバルのブランドメッセージは「YOUR MOVE」。スポーツ用品を取り扱う以外に、フィットネスプログラムの提供なども行う(2009年に世界的エンターテイメント集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」と共同開発したジムワークアウト「Jukari Fit to Fly(ジュカリ・フィット・トゥ・フライ)」を発表[1])。日本国内では「タイカン」「リーボックハローキティ」など独自製品の開発・販売も行うとともに、消費者参加型のランニング・ウォーキングイベント「リーボックランナーズ」を開催する。

 

1895年 陸上選手でもあったジョセフ・ウィリアム・フォスターが靴底に釘を打ち付けた「フォスター・デラックス・スパイク」を製作。
1900年イギリスで「J・W・フォスター社」を設立。イギリスの陸上大会で同社のスパイクを履いたアルフ・シュラブが3つの世界記録を打ち立てる。
1924年 「フォスター・ポンプ」を履くイングランドのハロルド・エイブラハムスとスコットランドのエリック・リデルがパリ五輪でそれぞれ金メダルを取る。これによりシューズメーカーとしての地位を固める。
1958年 社名を「リーボック(俊敏さをイメージさせるガゼルのアフリカ現地名)」に変更するとともに、陸上競技以外のシューズも手がける。
1979年 アメリカにおける販売権を得てランニングシューズの販売を開始。
1982年 エアロビクスシューズ「フリースタイル」をリリース。世界的なヒット商品となった。
1986年 スポーツ用品ブランドとして全米ナンバーワンの売り上げを達成する[2]。
1989年 ジン・ミラーと共同開発のフィットネスプログラム「ステップリーボック」を発表。バスケットシューズ「ザ・ポンプ」をリリース。
1989年 スポンサードしていたハセミモータースポーツ長谷見昌弘が、JTCシリーズチャンピオンを獲得した。
1991年 1989年に続いて、ハセミモータースポーツ長谷見昌弘が、2度目のJTCシリーズチャンピオンを獲得した。
1992年 ルイジアナ州立大学からNBAオーランド・マジックにドラフト全体1位で指名されたシャキール・オニールと大型契約を結ぶ。以後、オニールはリーボックの『顔』として長期に渡って活躍した。
1994年 ランニングシューズ「インスタ・ポンプ・フューリー」をリリース。
2002年 フットウェア&アパレルコレクション「RBK」を発表。
2005年 アディダス社の傘下に入る。以降、同社のブランドとして展開。
2007年 ランニングシューズ「タイカン」をリリース。
2009年 ウォーキングシューズ「イージートーン」をリリース。ジムワークアウトプログラム「Jukari Fit to Fly(ジュカリ・フィット・トゥ・フライ)」を発表。ハローキティとのコラボアイテム「リーボックハローキティ」をリリース。

2012年 2011年までNFLの公式アパレルであったが、この年よりナイキに変更された。[3]
2013年 Reebok CLASSICのアンバサダーに「水原希子」を採用。
2014年 Instapump Furyの生誕25周年を記念して当時のスペックで続々と復刻モデルを発売。90年代当時のファンや若者の間で大きなブームとなる。ミランダ・カーをグローバル アンバサダーとして採用し、ウォーキングシューズ「リーボック・スカイスケープ」をリリース。
2015年 Reebok CLASSICのアンバサダーに「玉城ティナ」を採用。The Pump機能を搭載した次世代型ランニングシューズ「ジーポンプ フュージョン」をリリース。