元ユニクロ店員のブログ

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A BATHING APE ア・ベイシング・エイプ

A BATHING APE®(ア・ベイシング・エイプ)は、NIGO®が1993年に立ち上げた裏原宿アパレルブランド。株式会社ノーウェアが展開する。1990年代中頃から人気が出始め、服飾を中心としながらも同ブランド名義の事業展開は音楽や飲食まで多岐に渡っている。

2011年2月1日、香港証券取引所に上場する香港の大手アパレル企業I.Tによって事業買収された。ブランド運営元であった株式会社ノーウェアは同社に子会社化され、BAPEの商標権もI.T社が保有している。

 

1990年「POPEYE」や「ホットドッグ・プレス」などでスタイリスト、ライターとしての活動を開始したNIGO®は、同じ文化服装学院出身の高橋盾(「UNDERCOVER」デザイナー)とともに、「ノーウェア(NOWHERE)」を開店する。当初は雑誌の連載に関連して買い付けた商品を取り扱っていたものの、同じようなセレクトショップの形態をとる店が周辺に出現し始めた。これを機に差別化を図るべく、Tシャツのプリントデザインを中心とする服飾の製作を始めることとなり、1993年4月に同ブランドを開始。ブランド「A BATHING APE®」に対する現在のパブリックイメージは、この時点からスタートしたといえる。

NIGO®は、ファッションだけでなく軽音楽にも通じる点から日本内外を問わずミュージシャンたちとの交流も厚く、コーネリアス小山田圭吾)やスチャダラパー等のツアーTシャツをA BATHING APE®名義で手がけることもあった。若者に支持されているミュージシャンが彼のデザインした服を着用して多くのメディアに登場したことは、ファッションに精通する一部の者しか知らなかったこのブランドが有名になった要因のひとつである。こうしてNIGO®のデザインは人気を得ることとなり、いわゆる「裏原宿系」と呼ばれるブランド群の代表的存在として現在に至る。

同ブランドは需要に対し供給が少なく、人気が過熱していた際には新作商品の入手が極めて困難だった。模倣品が多く存在する。現在同ブランドは「BAPE STORE」を直営店とし、販売を展開している。

2011年1月31日、NIGO®は株式会社ノーウェアを香港企業のI.Tへ売却した。I.Tが香港証券取引所に提出した資料によると、ノーウェアは過去2年赤字決算で、負債は10億を超えていた[2]。

関連ブランド・関連事業編集
現在 A BATHING APE®は同ブランドの下で、NIGO®自らサウンドプロディースをこなすと共に音楽発表の場としている自主レーベル「APE SOUNDS®」「(B)APE SOUNDS®」や、喫茶店の「BAPE CAFE!?」、2006年11月よりMTV JAPANにて「NIGOLDENEYE®」などを展開し、事業は今後も拡大の方針をとるものと思われる。相模ゴム工業とのコラボレーションによるコンドーム「BAPE® CAP」も発売された。ほかにも2001年にはペプシコーラとのコラボレーションをした缶を発売した。2006年にはDisneyとA BATHING APE®からカモ柄のプーさん、2008年にはカモ柄のミッキーを発売した。2002年から2004年まで、全日本プロレスとのコラボレーションによる「BAPE STA!! PRO-WRESTLING」が開催された。A BATHING APE®は、もはや単なるファッションブランドという認識に留めることは出来ない程、多岐のジャンルに渡り活動している。2007年度の24時間テレビではチャリTシャツのデザインに用いられている。2008年4月には、ニンテンドーDS LiteBAPEデザインが発売された。2010年3月25日より、ユナイテッドアローズの一部店舗にて、スーツやネクタイなどを展開するMr. BATHING APE® by UNITED ARROWSの取り扱いが始まった[3]。

また活動場所も日本だけに留まらず世界規模になっており、2004年には音楽プロデューサーユニット、ザ・ネプチューンズファレル・ウィリアムスとともにファッションブランド「BBC(ビリオネアボーイズクラブ)」とシューズブランド「ice cream(アイスクリーム)」を立ち上げている。2006年末から「NIGO'S FAVORITE SHOP」というネット上でのオンラインショップを開設しており、会員限定のコンテンツとなっている。 2009年からオンラインショップは会員限定ではなく、誰でも購入可能となっている。

2012年より、ヤングラインとしてAAPE BY A BATHING APEがスタート。

sacai サカイ

1999年

sacai(サカイ)は、日本のを代表するファッションブランド。メンズ・ウィメンズともに展開。

ブランドコンセプトは「日常の上に成り立つデザイン」。スタンダードなものを大切にしながら、エレガントな要素を加え、またクラシックなアイテムにひねりを加えることで、sacaiの考えるエレガントな「ニュースタンダード」を表現。

異質な素材の組み合わせ、独特なシルエット、細かい部分に技術、アイデア、工夫を凝らしたデザインなど、よく見ると確かに分かる拘りが強く支持されている。特に、異素材のミックス、タック、プリーツ使いで前後の印象を変えるデザインをsacaiは得意としており、バックや横からのアングルが美しく見える。

 
ブランドの開始当初はニットを使用したアイテムが多くを占めていた。ニットは現在でもsacaiの特長の1つであるが、よりバリエーションが増えている。適正な価格でクオリティを高く維持。毛玉のできる商品が分かると、すぐに自己負担で回収するなど品質に徹底的なこだわりを持つ。
サカイの沿革・歴史
創業者は阿部千登勢(Chitose Abe)。1965年生まれ。コム デ ギャルソンでニットのパタンナーなどを経験し、1997年に結婚・出産を機に退社。その後、服のデザイン活動を再開。

1999年、子育てのかたわら「sacai(サカイ)」を設立。5型のみのコレクションでのスタートだった。ブランド設立前に所属していた、コム デ ギャルソンのように大々的な宣伝をすることはなく、エディター、スタイリストやセレクトショップなどからの高い評価、そして徐々に顧客がつき人気が広がった。

2006年、「sacai gem(サカイ ジェム)」を発表。10 Corso Como Comme des Garçonsエクスクルーシブのカプセルコレクションで、10 Corso Como Comme des Garçons(東京)とDover Street Market(ロンドン・東京)のみで販売された。同年、「日常の上に成り立つデザイン」をコンセプトにsacaiの考えるエレガントな大人のためのランジェリー・ホームウェアライン「sacai luck(サカイ ラック)」を開始。現在、このラインでは、後によりリラックスしたシーンにフォーカスした1つのコレクションとして展開している。

2007年、毎日ファッション大賞の大賞に阿部千登勢が選出される。

2009年春夏コレクションより、メンズコレクションをスタート。レディスコレクションと同様のコンセプト、アプローチでコレクションを展開している。

2010年春夏コレクションよりモンクレールの新ラインとして、阿部千登勢が手掛ける「MONCLER S(モンクレール エス)」を発表。モンクレール エスは2012-13年秋冬コレクションまで展開した。

2011年、2011年秋冬パリコレクションにて初めてモデルを起用したショーを開催する。同年9月に、旗艦店を東京・南青山にオープン。ここでは、sacaiのウィメンズ、メンズなど全てのコレクションが揃う。

2013年、パラブーツと共同制作で、sacaiメンズ初のシューズを発表。

2015年、NIKE x sacaiのコレクション発表。同年、sacai luckを休止。代わりにsacaiでプレシーズンの展開をスタート。以降、年4回コレクションを発表している。また、同年、第33回 毎日ファッション大賞を受賞し、2度目の受賞を果たす。

2016年春夏シーズンにはエンダースキーマとコラボでなめし革のブーツやサンダルを発表。

2017年、コラボでは、ラコステとポロシャツなど、ザ・ノース・フェイスとは高性能ロングコートやボンバージャケットを発表した。2017年10月、アンダーカバーとともに東京で合同ショーを開催。

、阿部千登勢(Chitose Abe)が「sacai(サカイ)」を設立。

 

 

kolor カラー

2004年、阿部潤一が「カラー」を設立。

 

カラー(kolor)は日本のファッションブランド。メンズ・ウィメンズともに展開している。

デザイナーの阿部潤一(Junichi Abe)は1965年生まれ。文化服装学院アパレルデザイン科でファッションを学ぶ。卒業後、いくつかのアパレルメーカーを経て、2004年、独立し、自身のブランド「カラー(kolor)」を設立。2005S/Sからコレクションをスタート。

パターン、素材、縫製のバランスにこだわった、時代の気分にフィットするデザインが人気となっている。阿部が手掛ける独創的な色使いと斬新な素材の開発への評価は高い。

 
2009年7月、東京南青山にフラッグシップショップをオープン。

2012-13A/Wコレクションよりパリ・メンズファッションウィークでコレクションを発表している。2012年「第30回毎日ファッション大賞」大賞受賞。同年、新しいメンズブランド「kolor BEACON」を立ち上げた。

2013年6月、ピッティ ウォモにてメインゲストデザイナーに選ばれ、2014S/Sメンズコレクションを発表した。

 

 

 

UNDERCOVER アンダーカバー

1990年、デザイナーの高橋盾が一之瀬弘法と文化服装学院アパレルデザイン科在学中「アンダーカバー」を設立。

アンダーカバーは日本のファッションブランド。

メンズラインは過去、アンダーカバイズムのブランドネームで発表されていたが、2015年に統合され、アンダーカバーとして展開。セカンドラインとして、ウィメンズの「スーアンダーカバー(SueUNDERCOVER)」とメンズの「ジョンアンダーカバー(JohnUNDERCOVER)」がある。リンゴをモチーフとした"ギラップル(GILAPPLE)"がアイコン。

アンダーカバーの服は、かつてカルト的な人気と生産が限られていることから入手困難になり、プレミアがついた。アンダーカバーのデザインについてデザイナー本人はストリートとモードの間にあると語っていた。「セックス ピストルズ」に強く影響を受けていること、本人もパンクの影響を非常に受けていると語るようにパンクファッション的なテイストがアンダーカバーのファッションにも見られるが、いわゆるパンクテイストのファッションではない。

 
何重にも重ねられたレイヤード調のものに、独特なカラープリント、フェミニンなスタイル、シャビールック(素材がボロボロのもの)などのデストロイ系のものなどテーマに合わせて様々な手法を試みており、マルタン マルジェラ、コム デ ギャルソンコム デ ギャルソン、ヴィヴィアン・ウエストウッドなどのデザインともやや共通するものがある。

影響を受けたデザイナーはコム・デ・ギャルソン川久保玲だと高橋盾は語っている。
アンダーカバーの沿革・歴史
創業者の高橋盾は1969年、群馬県桐生市に生まれる。セックスピストルズのジョニー・ロットンに似ていることから「ジョニオ」と呼ばれる。

89年、文化服装学院アパレルデザイン科に入学し、90年、在学中に一之瀬弘法(ヴァンダライズのデザイナー)と「アンダーカバー」を開始。在学中には後輩「BOUNTYHUNTER」の岩永ヒカルとともに、「東京セックスピストルズ」というセックスピストルズコピーバンドを組んでいた。高橋盾はボーカル。

91年、卒業すると同時に渋谷クワトロ内のビリーにて服の卸をスタートさせる。 93年、「A BATHING APE(ア ベイシング エイプ)」のNIGOと共に原宿竹下通りに「NOWHERE」をオープン。1994年秋冬より東京コレクションに「アンダーカバー」で参加。1994年、有限会社「アンダーカバー」を設立。また同年、藤原ヒロシと「A.F.F.A.」を立ち上げる。しかし、1年半で活動を休止。(これを97年に再開するが、また半年で活動休止。)A.F.F.A.は、「Anarchy Forever Forever Anarchy」の略で、「無政府主義よ永遠に!」の意味。手刷りプリントのTシャツが人気となる。

95年、アンダーカバーのオンリーショップ「NOWHERE LTD」オープン。同年レディースとメンズを本格的にスタート。 97年には2年間休止していたショーを再開。同年、毎日ファッション大賞で新人賞を受賞。 2000年1月、株式会社「アンダーカバー」を設立。 2001年、第19回毎日ファッション大賞を受賞。2003年春夏、パリコレクションにデビュー。

2008年、大阪・梅田の阪急百貨店「メンズ館」にスタイリストで有名な野口強の呼びかけで、アンダーカバー、N.ハリウッド、ナンバーナインヒステリックグラマーが集結したセレクトショップ「クアドロフェニア」がオープンした。

2009年春夏、メンズラインのアンダーカバイズム、パリにて展示会形式でコレクションを発表。2010年、NIKEとのコラボレーションで「GYAKUSOU(ギャクソウ)」をスタート。

2012年、ユニクロと2シーズンに合わってコラボコレクション「UU」を発売。(2015年はキッズラインが限定復活した。)

2013-14年秋冬シーズン、セカンドラインとして、ウィメンズの「スーアンダーカバー(SueUNDERCOVER)」とメンズの「ジョンアンダーカバー(JohnUNDERCOVER)」を同時スタート。

2014年、"ギラップル(GILAPPLE)"を持ったハローキティ(HELLO KITTY)が登場。

2016年、「キース(KITH)」カーハート(CARHARTT WIP)や「ノンネイティブ(nonnative)」とコラボ。ザ・パーキング銀座にて発売した。

2017年、フット ザ コーチャーの「S.S.SHOES」をベースにしたコラボシューズを発表。

2018年1月、アンダーカバーとタカヒロミヤシタザソロイスト.が2018-19秋冬メンズウェアコレクションを合同ショーで発表する。

 

NUMBER (N)INE ナンバーナイン

1996年、宮下貴裕が「ナンバーナイン」を設立。

 

ナンバーナインNUMBER (N)INE」は日本のファッションブランド。

創業デザイナーである宮下貴裕は、1973年、東京都に生まれる。服作りは独学で学ぶ。96年、企画、バイヤーを務めたネペンテス(エンジニアド ガーメンツなどを運営)から独立。

96年11月、クークス(KOOKS CO.,LTD.)を設立し、「NUMBER (N)INE(ナンバーナイン)」を発表。ブランド名はビートルズの曲目である「レボリューション・ナイン(Revolution #9)」から由来している。

 
97年、表参道にショップをオープン。98年、一度移転した後、2000年、ショップを恵比寿の路地裏に看板のない本店を設置。

2000-2001A/W東京コレクションに参加、ランウェイ形式で発表。2003年、ニューヨークにショップをオープン。2004-2005A/Wからパリに発表の場を移す。

ナンバーナインのデザインの中では音楽とファッションが密接に存在している。デザイナーの宮下はロック、パンクからインスピレーションを受け、デザインに落とし込むことも多々見受けられた。2005S/Sのレッドツェッペリンの天国への階段をBGMに使用したり、2006S/Sのガンズ&ローゼスをテーマにしたデザイン、その他、ニルヴァーナのカートコバーンからインスピレーションを受け、2005A/Wなどはショーにその音楽を使用した。

ブッシュ大統領に向けた反戦メッセージを打ち出すなどメッセージ性の強いTシャツをコレクションに取り入れたこともあった。

2007S/Sはジョニー・キャッシュカントリーミュージックをテーマに取り上げた。2008S/Sは素材をコットンカシミアのニットで統一、ニットの引き出すドレープ感を表現した。

2007A/Wシーズンに、レディースラインの「ナイン(9)」がスタート。デザイナーはナンバーナインのアシスタントの鈴木ゆうみ。宮下貴裕がディレクションと監修を務める。

2009S/Sには白や花柄などのカラーにレースやヴェルヴェット、コブランなどレディースで使用されることが多い素材、ブランド得意のレイヤードスタイル。ロックなどのテイストも多少残しているが、過去のナンバーナインのコレクションとは全く異なるスタイルを提案した。近年、ネペンテスとのコラボレーションも発表しており、スタジャンなどが人気となっている。

2008年、大阪・梅田の阪急百貨店「メンズ館」にスタイリストで有名な野口強の呼びかけで、アンダーカバー、N.ハリウッド、ナンバーナインヒステリックグラマーが集結したセレクトショップ「クアドロフェニア」がオープンした。

2009年、ブランドの解散を発表。宮下貴裕はナンバーナイン脱退後、自身のブランド「タカヒロミヤシタザソロイスト(TAKAHIROMIYASHITATheSoloIst.)」をスタート。

2010年、NUMBER (N)INEを手掛けてきた有限会社クークスが新体制でブランドスタートすることを発表。セレクトショップを中心に販売。

 

 

Ann Demeulemeester アン・ドゥムルメステール

アン ドゥムルメステール(ANN DEMEULEMEESTER)はベルギーのファッションブランド。

アン ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)は、1959年、ベルギーのコートヤックに生まれ。81年、アントワープ王立美術アカデミーを卒業。彼女は同学院の初期の卒業生にあたる。

85年、夫のパトリック・ロビンとともに自身のブランド「アン ドゥムルメステール」を立ち上げる。86年、ロンドンの展示会にアカデミーの卒業生5人(ウォルター ヴァン ベイレンドンク、ダーク ヴァン セーヌ、ドリス ヴァン ノッテン、マルタン マルジェラ、ダーク ビッケンバーグ)と共に出展。「アントワープの6人」として話題を集める。

 
86年、ロンドンコレクション参加。1987-1988年秋冬からレディース・コレクションをスタート。

91年から発表の場パリに移す。92年、パリでレディースコレクションを初めて発表。96年からレディースと共にメンズ・コレクションをスタート。同時にメンズラインもスタート。

96年、ベルギーで「Culture Award」を受賞。99年アントワープで自身のショップをオープンさせる。日本では表参道ヒルズに販売店がオープン、本国以外では初のショップ出店となった。

2005年 パリ・メンズ・コレクションに参加。

2008年、2008-09秋冬で、レディースアーカイブラインANN DEMEULEMEESTER collection blancheを発表。

2013年、アン・ドゥムルメステールが、自身のブランドのデザイナーを辞任。退任後、初となるコレクションは、セバスチャン・ムーニエ(Sébastien Meunier)を中心としたデザイナーチームが手掛けている。

2014年、アン ドゥムルメステールの20年間のキャリアを紐解く書籍を発売。

FENDI フェンディ

1925年ローマにて創業。当初毛皮工房であった。1990年代に一時経営難に陥るが、<プラダ>とLVMHの合弁会社に買収されて再建。その後、プラダ保有した全株式をLVMHが取得し、LVMHグループの一員となった。ブランドアイコンとして、縦縞の<ペカン>や<F>を組み合わせた<ダブルFズッカ>、文字盤にカラージュエリーを埋めこんだ美しい時計、<クレイジーカラット>がよく知られている。

現在では、毛皮・バッグ・靴などのレザーグッズをはじめ、服飾、サングラス、宝飾品、時計など、広い分野をカバーしている。展開商品は女性向けのものが多数であったが、2000年代後半から男性向け商品についても展開を本格化させている。

婦人服、ファー製品は<シャネル>と同じドイツ人の<カール・ラガーフェルド>(Karl Lagerfeld)、紳士服は創業家のシルヴィア・フェンディがデザインしている。

 

1925年 - エドアルド・フェンディ、アデーレ・フェンディ夫妻により創業。
1946年 - フェンディ夫妻の長女、パオラが仕事を手伝い始める。アンナ、フランカ、カルラ、アルダの4人の娘も携わった。
1965年 - 当時まだ新進デザイナーだったカール・ラガーフェルド(当時32歳)を主任デザイナーに擁立。
1997年 - バゲットパンにちなんで名づけられたバッグ「バゲット」を発表。
1999年 - 経営難の折、フランス・LVMHとイタリア・プラダ合弁会社に買収される。
2001年11月24日 - プラダ所有の全株式をLVMHが取得。
2002年 - 神戸旧居留地に竣工した日本初のLVMH複合ビルにルイ・ヴィトンベルルッティと同時に路面店をオープン。
2003年 - 同じLVMHに属するセリーヌロエベ、ダナ・キャランと同時に表参道(東京都渋谷区・ONE表参道ビル)に路面店をオープン。